小型モビリティの世界を広げたい【SUZUKI GO! デザイナーインタビュー】竹岡 圭のビリーヴカー インプレッションはBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>2024/7/16(火)配信
介助する側、介助される側、双方の立場になってビリーヴカー(福祉車両)をインプレッション! レポートするのは、介護経験があり自身も福祉車輌取扱士の資格を持つタレント・モータージャーナリスト 竹岡 圭。今回はスズキ コンセプトモデル「SUZUKI GO!」についてスズキ株式会社の担当者にいろいろ伺いました。その模様をお届けします。
小型モビリティの世界を広げたい【SUZUKI GO! デザイナーインタビュー】竹岡 圭のビリーヴカー インプレッションはBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>「ゆとり重視の方へは、新しいノアをお勧めします!」はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>2023/5/15(月)配信
すべての人に自由なモビリティを目指し、製品や技術を紹介するBelieveが注目する福祉車両。前回に引き続きトヨタの人気ミニバンの中から、今回は「ノア」の車いす仕様車に注目し、責任者である野首福利(のくび ふくとし)氏に、開発に込めた想いを聞いた。

トヨタの「ノア」は、あらゆるシチュエーションに対応する頼もしいミニバン。ラインアップはタイプI「車いす1名仕様(セカンド席)」とタイプI「車いす2名仕様(セカンド席とサード席)」、そしてタイプII「車いす1名仕様(サード席)」があり、タイプIIには標準車と同じシートレイアウトの「サードシート付」仕様が選べる。さらに、このタイプII「サードシート付」仕様には、助手席リフトアップチルトシートを標準装備したタイプも設定されている。撮影車はタイプIの「車いす1名仕様(セカンド席)」仕様だ。
新型モデルは、車いすの乗車から固定までの操作を大幅に簡単にして、操作の時間を半減させている。たとえば、これまで車内のスイッチ操作でリヤの車高を上下させていたが、バックドアの開閉と連動して自動的に車高が上下。後退防止のセーフティモードへの切り替えも自動化され、乗車した車いすのベルトのたるみ取りも必要なくなった。 大きなゆとりに加え、使い勝手が劇的に進化したことで、ノアの快適さはいっそう増している。

バックドアを上げると車高が自動に下がり、簡単に引き出せる手動スロープは角度9.5°と非常になだらか。車いすの乗車から固定まで、一連の動作がとてもシンプルになっている。

室内スペースにゆとりがあるノアは、リクライニング機構が付いた車いすや電動車いす、さらにシニアカーにも対応する(スロープ耐荷重200kg)。「タイプI」はストレッチャーでの乗車も可能。

荷物の取り出しで邪魔となる収納時の「立ったままのスロープ」が、車内に倒れてフラットなフロアとなる「前倒れ機能」も旧型同様に採用されている。

車いすユーザーがコミュニケーションを取りやすい「タイプI」、セカンドシートが標準車同様に使用できる「タイプII」など、使い方に合わせてさまざまなバリエーションが用意される。
関連記事:フルモデルチェンジで乗降操作が簡単に! 大幅進化した新型トヨタ ノア/ヴォクシーの車いす仕様車

今回ノアの福祉車両について調査をした結果、老老介護をしている女性の方が非常に多いことがわかりました。 そして、旧型ではありますが、問題点などを尋ねると、多かった回答のひとつは「価格が高い」ことと、もうひとつは「操作が難しそうで不安」ということでした。新型の開発にあたって、この2点については確実に改善しなければならないという意識で臨みました。まず価格設定を低めに改めました。ベース車と変わらない感覚で購入できることを目指し、旧型では35万円ほど高くなったものを、グレードによっては10万円アップ位にまで近づけました。そして操作についてですが、おおまかに言えば、操作手順は8回から3回に減り、乗り込むのに必要な時間も120秒から60秒へと半減しています。迷うことなく自然に操作できる、とにかく覚えることが少なくて済むように配慮しました。
旧型との大きな違いでは、新型では新たにハイブリッドを設定しています。これもあくまで普通のクルマであることの証ですが、新型では型式認証を取ることで通常のラインアップとなっています。それにより今までカタログを見たときに、「改造されたクルマ」との印象がありましたが、新型では通常のカタログモデルであることを認識してもらい、福祉車両への心理的なハードルをまたひとつ取り除くことができたと思っています。
旧型でも達成できていた点になるのですが、スロープ角にはとてもこだわっています。よく耳にするのが、雨の日など急いでいるときには電動ウインチのベルトをつけずに、車いすを車内へ押すこともあるということです。そうした場合、一般的なスロープモデルではおよそ14°くらいのスロープ角となっているのですが、これはベルトのアシストがないと厳しい角度です。ノアは後輪にエアサスペンションを採用することで、車高を大きく下げて9.5°という平坦なスロープ角を実現しています。これであれば急いでいるときには手で押して乗車することも可能です。

高齢者の方は、外出頻度が減ると認知症になりやすいというデータが出ています。より多くの高齢者の方の外出に貢献して、健康寿命を伸長できるようなクルマ作りを目指すことがトヨタの福祉車両に期待されている役割だと思います。それをお客様に提供することが自分の使命だと考えています。
プロフィール
トヨタ車体株式会社
ZH1、主担当
(兼務)トヨタ自動車株式会社
CVカンパニー 商用CASE企画開発部 電動化企画開発室 福祉モビリティG 主幹
野首福利 氏
「ゆとり重視の方へは、新しいノアをお勧めします!」はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>「新型シエンタ ショートスロープ仕様はとても便利なので、ぜひ試してみてください!」はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>2023/5/12(金)配信
超高齢化社会に突入して久しい日本では、近年、在宅介護が推奨されている。そして、そうしたなか、 自宅からデイケア施設や医療機関へ通う高齢者が増え、 福祉車両の使用頻度は、これまでになく高まっている。 「すべての人に自由なモビリティ」を紹介するBelieveが今回注目するのは、トヨタの新型シエンタ「ショートスロープ仕様」。開発責任者である稲熊幸雄(いなぐまゆきお)氏に、そのこだわりのポイントを聞いた。

両側スライドドアに広々とした室内、低床設計でアクセスが良好なトヨタシエンタは、2022年8月にフルモデルチェンジして3代目となった。ビリーヴカー(福祉車両)は3タイプあるが、もっとも注目したいのがタイプIIIの「ショートスロープ仕様」。バックドアを開けると同時に車高が降下し、リヤバンパーと一体型のショートスロープが展開。リアエンドからスロープが突出する長さはわずか17cmで、省スペース&短時間での乗降を可能とする。

バックドアを開けると自動的に車高が下がる。そして、ショートスロープが展開。

車いすの前輪をショートスロープに乗せ、後輪をスロープに押し当てながら車内へと進む。

車いすの前後左右にフックをかけて固定スイッチを押す。あとはハンドルを引いてショートスロープを収納、バックドアを閉めれば自動的に車高が戻る。
関連記事:難点だった乗り込み時間を大幅に短縮! 新型シエンタの「ショートスロープ」がすごい
現在、福祉車両のシェアはトヨタが日本国内の約7割を占めています(除:軽自動車)。そのため、我々には「スタンダードを作っている」という自負があります。 「トヨタでしかできない福祉車両の在り方とは何か」をつねに意識し、介護施設などでお客様のご使用になっている様子から本当の困り事はなにか見極め、自分たち自身で仮説を立て検証して開発しています。また、標準車との同期開発やインライン生産対応などのコスト低減も積極的に実施しています。

今回の新型シエンタ タイプIII「ショートスロープ仕様」で改善したのは、以下の3つの点です。
まずひとつ目は「車いすにお乗りの方の孤立を防ぐ」ことです。
たとえば病院のエントランス。迎えにきたドライバーがクルマを離れ戻ってくると、別のクルマがすぐ後ろに停めてしまい、車いすで乗り込むことができないという事態があります。今までの福祉車両では、車両の後方に2.4メートルのスペースがないと乗り降りできませんでした(通常、停車している前のクルマとの間隔は、1.7メートルほど)。ところがこのショートスロープ版では1.3メートルあれば乗り降り可能ですから、クルマを移動させなくてもよくなります。これまで車いすユーザーの方は、ドライバーがクルマを移動させて戻ってくるまでの間、そこに一人で待たなければなりませんでした。認知症の方がブレーキを外して、後ろのクルマにぶつかったり、どこかに移動してしまうなどのトラブルも報告されています。そのような事態を改善したいと考えました。
次に、スロープを展開するときによくある「手が汚れることをなくす」ことです。
汚れた手でシートベルトを締めたり介助をすることには抵抗感がありますので、このシエンタではハンドルを引くだけでスロープを格納できます。
最後は「操作時間の短縮」です。
根本的なことですが、スロープを出したりベルトをかけたりといった作業は時間がかかります。今回ショートスロープ化することで、作業時間が4割ほど少なくなりました。 また、バックドアを開けている時間が短くなれば、冷暖房の効率化にもつながります。後ろの交通も妨げません。このようなことを目指して作ってきました。
シエンタはタイプIとタイプIIが通常のスロープで、タイプIIIがショートスロープモデルとなっています。主に福祉タクシーなど車いすの操作に慣れている「プロの方」向けになっていますが、一般ユーザーからの関心も高いです。 これまで、通常のロングスロープモデルに乗ってきた方が、ショートスロープに買い替えられるケースも少なくありません。実際に使用してみて、思ったほど力が必要でなく圧倒的に手間と時間がかからないことや、仰々しくないことを評価して選ばれる方もみえると思います。実際の「使い勝手」をよりよくするために試行錯誤した開発陣の努力が報われます。
まだまだ福祉車両の普及が進んでいないと感じており、手順が複雑で操作の難しさもあって、福祉車両=特殊なクルマのイメージがあります。そのため心理的な印象から、選んでいただけていないこともあります。いままで以上に簡単に操作ができて、心理的抵抗感も払拭できるクルマをつくり、すべてのひとが自由に移動できる社会を目指して、今後もさまざまな商品を開発していきたいと思います。

プロフィール
トヨタ自動車株式会社
CVカンパニー CV統括部 商用事業企画室 主査
CVカンパニー 商用CASE企画開発部 電動化企画開発室 福祉モビリティG 主査
稲熊幸雄 氏
「新型シエンタ ショートスロープ仕様はとても便利なので、ぜひ試してみてください!」はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>車いすテニスプロプレイヤー 国枝慎吾 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>Believerとは?
福祉分野を中心に活躍する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。今回は、ホンダ本社ショールームで開催された福祉車両企画展示「Honda ハート Joy for Everyone」のトークショーに出演されたときの国枝慎吾さんを、特別編としてお届けしたい。
文と写真●Believe Japan 協力●ホンダ
9歳のときに脊髄腫瘍を発症。その後、車いすテニスと出会い、並外れた才能と人一倍の努力によって国内外で圧倒的な強さと前人未到の記録を築き上げてきた国枝慎吾氏。同じ年にすべてのメジャーオープンで優勝する年間グランドスラムを5度達成し、パラリンピックで4個の金メダルを獲得。また、シングルスで107連勝という大記録を打ち立てるなど、高い技術と不屈の精神力で、文字どおり世界最強のプレイヤーとして君臨した。そして2023年1月、世界ランキング1位のまま長い競技生活に終止符を打つ。国枝氏は競技にかけてきた自身の思いや、自分を支えてきた言葉、そしてクルマとの関係について語った。この出演の後日、「パラスポーツの社会的認知度の拡大、スポーツの発展に極めて顕著な貢献をし、広く国民に夢や感動を、社会に明るい希望や勇気を与えた」として、国民栄誉賞の授与が決まる。
テニスとの出会いは家の近くにあるテニスクラブで、10歳くらいのときに初めてテニスラケットを握ったときのことは今でも鮮明に覚えています。でもそのときはまさか活躍して皆さんの前でお話をするようなプレイヤーになれるなどとは思いませんでした。僕自身は 小さい時から活動的で、車いすに乗る前はずっと野球をやっていました。また漫画のスラムダンクが大好き。とくに登場人物の三井くんが好きでして(笑)、バスケットボールをしたかったですね。でもテニスが好きな母の勧めで近くのクラブに行くことになりました。民間のクラブでしたが、その当時から車いすテニスをやっていたのには驚きました。当時はテニスはといえば伊達公子選手が活躍されていて、自分にとっては女性のスポーツというイメージがありました。 正直あまり乗り気ではなかったのですが、実際にプレイを目にすると、車いすテニスがこんなに激しい競技だとは思いもしませんでした。そして、そこで車いすの人とも人生で初めて出会いました。テニスをプレイすることもそうですが、何より衝撃だったのは、「車いすに乗ってもこういった運動ができ、またひとりで生活をして、クルマを運転してテニスクラブに通うことだって可能である」というのを目の当たりにしたことです。そこで出会った人たちは、自力で車いすから降りて、それをクルマに乗せて運転し、また下ろして、とすべて自分でされていました。それを見て「車いすでもひとりで生きていけるではないか」と強く思い、大きく励まされました。 今になって思うと、それは自分にとって、テニス以上に大切な学びであったのかもしれません。

自分は普通の車いすに乗っても、活発に動きまわっていたので、競技用の車いすを初めて使ってもすぐに上手に動けました。しかしラケットの扱いにはなかなか慣れず、 最初はホームランのような球ばかり打っていました。しかし、日々着実に進化していくプレーを自ら感じて、どんどんおもしろくなっていきました。それを日々続けてトップにたどり着くのですが、もはやだれの背中を追いかけることがなくなってからも、「自身がどれだけ上達し進化していけるのか」ということに、現役の最後まで楽しみを見出すことができました。自分自身でモチベーションを高め、努力していきました。それこそがスポーツの素晴らしさであると思います。
高校生になるとクラブの理事長から「一度、海外に行ってみてはどうか」と言われました。その当時は国内に自分よりも強い人がたくさんいたので、あまり乗り気ではありませんでしたがとにかく行ってみました。
驚きでしたね。海外のトッププロたちを見て、彼らの「ラケット1本で生きている」という姿に衝撃を覚えました。試合はエネルギーにあふれた真剣勝負で、あまり褒められたことではありませんが、ミスをしたりすればラケットを地面に叩きつけたりと、感情を思いっきりぶつけ合うものでした。そのスタイルは最後まで真似することはできませんでしたが(笑)。「テニスで生きている」、そういった生活もあるのだとすごいインパクトを受けて帰国しました。その後、より一層、テニスに打ち込み、どうしたらパラアスリートになれるのかという確固たる課題と目標もできました。
はい、ありますね。競技を始めてから順調にキャリアを積んでいくのですが、2006年当時までの数年間は世界ランク10位前後で留まって、それより上に行くことができないでいました。そんなときにパット・キャッシュやパトリック・ラフターといったトッププレーヤーのコーチを務めたオーストラリアのメンタルトレーナー、アン・クイン女史にカウンセリングを受けることになりました。僕のプレイを見てもらった後、「自分は世界ナンバーワンになれるだろうか」とストレートに尋ねました。すると彼女は、「よく聞いて慎吾、これからはナンバーワンになる! と断言をしなさい、そこからすべてが始まるのよ」とアドバイスしてくれました。その言葉を現実のものとするため、それから毎朝鏡の中の自分に向かって、「俺は最強だ!」と叫び、自身を鼓舞しました。またテニスラケットにもその言葉を貼り付けて試合に臨みました。最初は半信半疑でしたが、3カ月も経つと、いきなりグランドスラムに優勝してしまいました。テニスをされた方はわかっていただけると思いますが、テニスというのは非常にメンタルなスポーツで、サーブをするときにも「ダブルフォルトしそう」などと弱気が頭をかすめることが多々あります。そしてそのまま打つと、不思議なことにみんなダブルフォルトしてしまうのです。そんなときにラケットに貼ってある「俺は最強だ!」の言葉を見ると、自信を持って振り抜けるのです。試合に勝ち、結果がついてくるとますます自信が深まりました。そしてその年末には世界ランキングも1位になっていました。もちろん、その言葉だけでなく、日々の練習もあっての結果なのですが、その練習時間すらも、このポジティブな言葉のおかげでクオリティが格段に上がっていったのを実感しました。言葉とは裏腹に、実際には自分はメンタルが弱いので、それを振り払うために「俺は最強だ!」と必死に繰り返していました。今でもメンタルが強くなったなと思うことは一度たりともありません。


引退を決意したのは東京のパラリンピックです。東京開催が2013年に決まってからコロナで1年延びて、開催までに8年かかりました。8年分の想いがこもったのがあの舞台だったので、金メダルを取れて自分も燃え尽き症候群を経験しました。ですが、そのあとでウィンブルドンが残っている状況だったので、「なんとかそこまでは」という気持ちで頑張りました。ウィンブルドンは新たに加わったグランドスラムで自分はまだ優勝したことがなかったので、優勝を決めたときに「もうこれで引退だな」と自然と口に出ました。十分やり切ったと言えるテニス人生だったと思います。

アスリートというのはやはり野心を持っていないといけないと思いますが、それが僕のなかから消えてしまったのです。妻に相談をすると「もう十分にやったから引退していいでしょう。私も疲れた(笑)」と言われました。周囲の人もねぎらいの言葉をかけてくれました。それでも引退届けを出す直前まで、自分のなかでは揺れ動きましたが、 引退した後は新しいことへ挑戦したいという気持ちが芽生えてきました。いまは新たにチャレンジすることを探していて、車いすバスケや車いすバトミントンなどにも挑戦しています。
引退してから大きく変わったのは、現役中は、まず朝起きてから「腰が痛くないか」など体のチェックを行うことが日課となっていましたが、それをしなくなりました。また、リラックスしてよく眠れるようにもなりました。現役生活21年のなかで、ほぼ1日たりとも休むことなく競技のために生活をしていたので、大会が近づくとストレスでなかなか眠れないことがよくありました。また、食事についても、朝遅くまで寝ているときなどは朝食を取らなくてもいいかなと思うこともあります。現役中は食べることも大切な仕事のひとつでしたから。筋肉量も落ち食事量も減ることで、痩せてきました。でも、何よりも変わったのは、自分自身にもう「俺は最強だ!」と言うことがなくなったことですね(笑)。

はい。18歳になるとすぐに免許を取りました。とにかく自分自身で動くことができるという環境を必要としていました。当時、まだ電車は、階段やエレベーターなど、どなたか人の手を借りなければ利用できないものでした。バリアフリーが進んだとはいえ現在でも、エレベーターに乗るためには遠まわりをしたり、車いす利用者は雨の日には傘をさせずレインコートを着る必要があったりと何かと不便です。やはりクルマで移動することが多いですね。クルマは車いすを使う人にとってはまさに必需品です。僕はホンダのオデッセイを3台乗り継いでいますが、車内で好きな音楽を聴きながら歌うのが大好きな時間です。オデッセイはサイズやスタイル、乗り込みやすさもとても気に入っています。いま通うテニスクラブには車いす仕様車用の駐車スペースが10台分ありますが、オデッセイが4台も並んでいる日があるほど高い人気です。また販売されると嬉しいですね。この会場はテックマチックシステムが搭載されたフィットが展示されていますが、とても便利で快適そうです。移動先などでレンタカーを借りることがありますが、自分にはかっこよさよりもスペースが大切なので、コンパクトカーのなかではフィットを選ぶことが多いです。レンタカーにテックマチック仕様車は無いのですが、携帯用のアイテムを取り付けて運転することができます。
2007年頃だったと思いますが、とある番組にて僕がプライベートでオデッセイを運転している姿が放映されました。ホンダの役員の方がそれを見てくださったのだと思います。お声掛けいただきスポンサーになってもらえました。
「俺は最強だ!」を座右の銘に世界を相手に戦い続けてきた車いすテニスの鉄人。20年を超える競技生活のなかで数々の記録を打ち立て、障害者スポーツ全体の普及発展に大きく貢献する。2023年1月に現役を引退。3月に国民栄誉賞の授与が決まる。
車いすテニスプロプレイヤー 国枝慎吾 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>スロープ式車いす移動車を6万台送り出したマツダE&Tとは?はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>2022/5/25(水)配信
4月29日、広島に本社のある「マツダE&T」にて、「スロープ式車いす移動車累計生産台数6万台記念式典」が開催された。「マツダE&T」は、マツダグループでエンジニアリング事業(量産車開発、派生車開発)やカスタマイズ事業(福祉車両、教習車等の特装車両)などを手がける総合エンジニアリング会社で、先般ビリーヴ・チャンネルでもご紹介した「MX-30 SeDV(セルフエンパワーメント・ドライビング・ビークル)」の開発も担当している。
式典は、代表取締役社長の野間幸治さんの挨拶から始まり、製造技術部の岸本勇次さん、ボデー・シャシー設計部 主幹の大塚孝江さん、PT性能・制御システム開発部の大上真弘さん、取締役常務執行役員の萩原國昭さんと続き、同時に全スタッフへ配信されるという形態だったが、記念すべきスロープ式車いす移動車の第1号車である「キャロルi」も展示され、会場に華を添えていた。
この日のためにフルレストアされたという「キャロルi」。その誕生は、なんと1995年というから驚くばかり。いまから27年も前に、いかにしてこのクルマが誕生したのか。また、6万台ものスロープ式車いす移動車を生産し続けている背景とはいかに? 今回特別に、特装車開発リーダーの経験をお持ちの「マツダ E&T」企画管理本部の方々に話を伺った。


村田さん 「キャロルi」が登場した1995年というのは、いわゆるバブル崩壊後。そのころ多くの会社がそうであったように、我々もより会社を強くするための新規事業を模索していました。そこで、社内公募を行い、当時の役員が満場一致でOKを出したのが、この「キャロルi」でした。
米田さん この提案は介護ヘルパーをする母親を持つ社員からでした。ご存知のように、車いすでの移動はさまざまな制約があります。「少しでも母の負担を軽くできれば」との思いがこの提案に結びつきました。
小泉さん 当時車いすを載せることができるのは、大きな病院や企業が所有するバンやバス的なものが主だったものでした。それらを個人が所有するのはハードルが高い。それに家庭内で介護される方に女性が多かったこともあり、日本の道路事情から取りまわし性に優れ、価格も安く抑えられる軽自動車に着目したというわけです。

米田さん 前例がないチャレンジだったので、苦労といえばすべて苦労でした(笑)。まずは車いす乗員スペースの創出。乗車位置を決め込んでから、フロア、ルーフの改造、燃料タンクの新設・移設、リヤサスの改造など多岐にわたります。とくにルーフ部分はFRPで仕上がっているのですが、当時この大きさのものを型取りして仕上げることが難しく、本当に苦労しました。
レストアされた車両をじっくりチェックさせてもらったが、その完成度の高さにちょっと驚いてしまった。車いすは専用のものが使用されているが、まずリヤゲート展開時の角度が浅いため、車いすを載せる際の介助側の負担が少ない。そして、車いすはストレスなく車両にワンタッチで固定できるではないか! さらに、車いすに乗ったまま乗車してみると、乗車後の頭上スペースや視界、そして手すりの位置など、居心地のいい空間が実現されているのだ。これを企画立案から販売まで。わずか1年で実現したというのだから凄い。
村田さん 車いす移動車は、「キャロル」、「フレアワゴン」、「デミオ」、「プレマシー」等。回転シート車は、「デミオ」、「プレマシー」等。リフトアップシート車は、「MPV」、「ビアンテ」、「CX-5」等。運転補助装置搭載車は、「ロードスター」、「アクセラ」、「MX-30」をそれぞれ手掛けてまいりました。

小泉さん 企業としてのQCD(品質、コスト、デリバリー)はもちろんですが、福祉車両はとくに介助する側、介助される側とひとにやさしい商品性を追及し続けています。
米田さん 今回は「スロープ式車いす移動車累計生産台数6万台」という節目の式典でしたが、まずは6万人を超えるお客様に我々の思いが届いたことを誇りに思っています。これからも、より多くの方に移動の歓びを実感いただくべく、開発に勤しんでいきたいですね。
社内公募の一つの提案が、福祉車両事業のスタートとなったマツダE&T。素晴らしい提案だったとはいえ「採算がとれるのか?」「利用者が本当に満足できる車両に仕上げられるのか?」など、トライ&エラーの繰り返しだったことは想像に難しくない。しかし、「マツダを愛する全ての人々に、もっと多くの笑顔を届けたい」という思いのもと、時代の流れを先読みしたこの商品戦略に、多くのユーザーが感謝していることは間違いない。次回は「キャロルi」のレストアの模様をレポートしたい。

スロープ式車いす移動車を6万台送り出したマツダE&Tとは?はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>絵描き 門 秀彦 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>Believerとは?
福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。
文●Believe Japan 写真●Believe Japan、HandmadeCreative
コミュニケーションとしてのアート表現や、手話をテーマにした創作活動を国内外で行う門 秀彦(かど ひでひこ) さん。「ハンドトーク(HAND TALK)」をコンセプトに、「絵描き」として絵画作品や絵本を制作するほか、ミュージシャンとのライブペインティングや巨大なキャンバスにみんなで一緒に絵を描く「らくがきワークショップ」などを精力的に行う氏に、自身の活動についての想いを語っていただいた。
僕は両親とも耳が不自由でしたので、コミュニケーションの手段として、幼い頃から手話をフォローするように「絵」を描いてきました。ビジュアルの方が手っ取り早かったり、描かないとどうしても伝えられないことがあったので、筆談のように絵を描いては見せていたんですね。その日学校であった出来事などを描くのですが、両親はいつも、僕が描き終わるのを静かに待っていてくれました。おかげで僕にとっては、「絵を描く」ということが、自分の「想い」をほかのひとに伝える手段として自然なものとなっていったのです。
よく小学校の図画工作の授業で、時間の都合で「今日はここまで、続きは次回に」となるのですが、普段から絵を描くことに慣れていた僕にはそれがまどろっこしくて、いつも最初の時間に2つほど描き上げていました。それでホッとして休んでいると、先生からよく注意され、成績はよくありませんでした(笑)。ですが、展覧会などでは賞をもらったりしていました。
僕が20歳のとき、長崎の目抜き通りにある店舗で改築工事が行われることになりました。そして、工事期間中、あまりに殺風景で街の美観を損ねるという理由から、壁一面に絵を描こうということになりました。最初、知り合いが依頼されたのですが都合がつかず、僕が紹介されました。
描いていると、通行人や観光客の方が話しかけてきます。そしてある日、「こういうのは日本では珍しい、素敵ですね。今度はあなたの絵の前で友達と待ち合わせします」といってくれる外国の方がいました。僕はそれから、完成しかかっていた絵を見つめ、絵の一部を描き直す決心をしました。そして、「ひとが待ち合わせている絵」に描き変えました。それを両親に見せると、「いいねえ。自分たちもおまえの絵の前で友達と待ち合わせるかね」と言ってくれました。そうすると「ろうあ者のひとも来るなあ(笑)」ということで、手話をしているひとを描きこみました。またある日、僕の知り合いの雑貨屋さんが来て「これカッコいいねえ」というのです。そのひとは手話を知らなくて、ヒップホップのジェスチャーだと思っていたらしいのです(笑)。それで、これは日本の手話ですと説明すると、「すごいカッコいい!」とさらに喜びました。また、それをTシャツにしたいというので描いて作ると、すぐに完売しました。
僕の親の世代は、人前でなるべく手話をしないようにしていたそうです。僕も気がつかなかったのですが、食事に行っても個室であったり、人目につきにくい席を選んで座り、目立たないように会話していたというのです。そんなひとたちにとって、おしゃれな若者たちが「手話」の絵が描かれたシャツを着て街を歩く、などということは想像もできなかったようです。でも、その光景を見た父親は「うれしいねえ」と喜んでくれました。それが、僕が手話の絵を描きはじめたきっかけです。

「手話」というのは、健聴者の方々にとって、理解するのがとても難しい場合があります。手話にはじつは、個々人の「くせ」というものが存在しまして、耳の不自由な方同士による会話でも、困難な場合があります。スピードも早く、健聴者の方がろう者と同じように自然に会話ができるようになるのはとても難しいです。また、身体の不自由な方のことを「しっかり理解してから接しよう」としたり、逆に親切にするのは偽善的に見られるから近づかない、といったことを考える方もいるかと思います。でも、それはもっと先のこととして忘れてしまっていいと思います。僕はそうやってハードルを上げてしまうのはではなく、もっと気軽に、耳の不自由な方と健聴者の方が、互いにただ接したり交流できるようになればいいなあと思います。ごく表面的なところからでもいいと思います。人間的に「合う、合わない」はその先の話だと思います。
個人的には、ろうあ者が、健聴者に対して行う手話、ジェスチャーが好きです。ゆっくりと分かりやすく表情も豊かに、ややオーバーな感じで「わかってもらおう」とするしぐさの優しさがいいのです。厳密にいうと、それは手話とは少しかけ離れたもので、だから「ハンドトーク」と呼んでいます。「ハンドトーク」は、そうしたジェスチャーだけでなく「絵」を通してであったり、「音楽」を通じてであったり、単に握手やハグ、料理、スポーツなど、「心の交流ができる、気持ちを込められる」ものはすべてがハンドトークなのです。たとえば、われわれ日本人がネイティブのように英語を話すことはできませんが、たとえカタコトであったとしても、表情や身振りを交えれば、気持ちは十分に伝わるというのと同じです。健聴者もろうあ者も、恥ずかしがらずにコミュニケーションを取り合ってほしいですね。
そこにはちょっとの困難があって、お互いが頑張って歩み寄ります。すると、健聴者同士、ろうあ者同士にはない、独特の優しく深い関係が生まれてきたりもします。僕はそこに感動せずにはいられません。
そういった「ハンドトーク」によるコミュニケーションが描かれている絵本「ハンドトーク ジラファン」が話題となっています。絵をはじめ、ストーリーや構成もすべて門さんがなさったということですが。
そうですね。「ハンドトーク ジラファン」は長く構想を温めてきた作品でして、そこで願ったことは、読んだひとの「記憶に残ってほしい」ということです。僕の名前や絵は忘れられても構わないのですが、そこにある「想い」というものは、なんとなくでも心に残ってほしいと思います。また、ストーリーや場面などについて、一般の児童書の様に丁寧な説明は敢えてしていません。年齢もそうですが、さまざまな境遇のひとが、それぞれの感じ方をなさってくれればいいと考えています。たとえば作中に、いつも独りぼっちでいる少女が登場するのですが、この子についても、その理由が「精神的にふさぎ込んでいる」のか「親が厳しく、閉じ込められている」のかなどの説明はありません。読むひとなりの解釈に委ねたいと思っています。ほかのキャラクターについてもそうですが、意図的に説明を省くことで、2回目、3回目に読んだときに、「ここにこんなのがあるんだ」というように、絵を通して発見があればいいなあと思います。
「ハンドトーク ジラファン」には、話が通じない、手話が通じないといった場面で、諦めずに「音楽」というコミュニケーションの方法を見出すところを描いています。みんなが少しずつ歩みよれば、心の交流はできるという希望を込めています。

手のような大きな耳を持つゾウでもキリンでもない、言葉がなくてもみんなとコミュニケーションができる不思議な動物。ジラファンのコミュニケーションは「ハンドトーク」。
門さんの絵は、色使いが非常に鮮やかですね。
僕が赤緑色弱であることも原因のひとつかもしれませんが、若いときから「あなたの絵は、外国のひとが描いたみたい。日本よりも海外向きかもしれない」、「外国に行ったほうが理解されそうだね。絵は国境を越えるからね」ということをさまざまなひとから言われてきました。でも自分ではよくわかりませんでした。海外にツテもなく、行動をとくに起こすことはありませんでした。
するとあるとき、アフリカのウガンダに2年間住んでいたという養護学校の先生が、東京で開いた個展を訪れてくれました。そして「この絵をウガンダの子供たちに見せたい」と言われました。また会場で、私が聾(ろう)学校で教えている様子のスライドを流していたのですが、それを見て「アフリカの子供たちにこれと同じことを経験してもらいたい」と話されました。これはいいチャンスだと思い、後日、その方と一緒にウガンダの聾学校に行きました。子供たちと交流したり、現地で先生の知り合いのお宅に行き、絵を描いて差し上げると、なぜだか信じられないくらいにみなさんに喜んでいただきました。ウガンダと日本は手話も大きく異なり、言葉はほとんど通じないのですが、みんな私のそばを離れず、また描いた絵を壁に飾ってくれたりして感激でした。
以前、共同で個展を開いた写真家さんから、ある日「白神山地」にあるブナの木の写真をいただきました。それは、ひとがなかなか立ち入れない場所にある巨木の写真でした。ものすごい迫力で、感動しました。そしてブナの木をテーマにした絵を1カ月くらいかけて描きました。それを写真家さんに渡すと、その方はもともとミュージシャンの方で「門くんの絵の前で歌をうたいたい、仲間を集める!」ということになりました(笑)。場所はその方のご自宅。お客さんはいませんでしたが、即興で音楽が生まれていく様子には興奮しました。そして、ただ見ているだけでなく、自分もその場で絵を描いて、セッションに参加したくなりました。スピード勝負となってくるので、素早く綺麗に描ける画材を真剣に探しましたよ(笑)。そしてクレヨンにたどり着きました。それで必死に描いていると、絵を描きはじめた幼ない頃と同じ感覚が甦ったのは新鮮でしたね。
もともと白神のブナの木があって、そのパワーを感じた写真家さんが撮影し、その写真からインスピレーションを受けた僕が絵を描き、その絵を観て音楽が演奏される。それは「言葉」を超えたコミュニケーションで、僕の言うハンドトークそのものでした。それが今日行っている「ライブペインティング」のはじまりです。

ろう学校で行なった「自分と同じ大きさと段ボールに自由に絵を描く」という課外授業がはじまりで、今では学校にかぎらず、いろんな場所で、イベントで行なっています。「らくがきワークショップ」は床一面にダンボールを敷いて描いていくわけなのですが、すぐにクレヨンで描きはじめる子もいれば、僕が描く虹などに感化されながら描きはじめる子もいます。僕のワークショップでは、テーマに沿って上手に描くというのではなく、見ず知らずの人間たちが集まってみんな好き勝手に描いていくという感じです。そうすると、楽しいだけでなく、邪魔されたりもする。描きたいスペースに先にほかの子が描いてしまったりということも含めて、毎回毎回が再現不可能な「セッション」のようなもので、そこにはすごいエネルギーが集ってきます。いつしか付き添いの大人たちも加わって描きはじめ、最後まで残って描いているのはいつも大人たちです(笑)。先日もイベントで行ってきたのですが、毎回発見や気づきがあります。
子供といっても、小学校の低学年ともなると、描く前に考える、考えながら描く様になります。「下書きしていいですか? 消しゴム使っていいですか?」と聞いてくる子もいますし、何らしかの自分の「想い」を込め、絵を通して人柄が伝わってくる場合もあります。対照的に、小さい子は思いつきや本能で描いていく子が多いですね。僕はどちらも好きです。本人が「やった! 描いた!」と感じられるかが大切だと思います。


芸術を志すひとの多くは、絵描きや芸術家に憧れてはじめますが、僕は全然アート志向がなく、絵を描くことよりもむしろ写真とかグラフィックデザインや詩に、興味や憧れがありました。「絵」というのは、自分にとってはあまりに当たり前で、上手いとも思っていませんでしたし、時代に合っていないとも感じていました。また、個人的な好みの世界であり、中高生の頃は、絵に「力」があるなどとは思いませんでした。なので、僕は、写真家が「いまを撮るように」、「絵」を描きたいと思っています。「技法」よりは、「何を描くか」を大事にしたいと思います。親からもらった自分の個性や環境であるとか、内面の世界を描きたいと思っています。僕はろうあ者ではないですが、僕の生きてきた経験と手話とは切り離せないものです。
子供たちにも、何かを真似して上手に描くのもいいですが、何か自分が描きたいと思うものを、自分が描きたいように描いてほしいと思います。コミュニケーションもそうで、ろうあ者、健聴者共に、「こうしなければ」とか、「どうしよう」と気を使いすぎるのではなく、感じたこと、思ったことをもっと素直に伝えあってほしいですね。言葉、手話が通じない場合は、ジェスチャーでも表情でもいいです。まずは気楽に触れ合っていけたら素敵ですね。
さまざまな分野に活動の場を広げる門さん。2018年4月2日(月)からは、NHKのEテレで、自身が作画とストーリーを手がけるアニメーション「キャラとおたまじゃくし島」がスタート。先行放送として1話~5話が、3月30日(金)午前0時30分~(29日木曜日深夜)が放送される。主人公の少女が、「音楽」がコミュニケーションの鍵となる神秘の世界で冒険する物語にも、ハンドトークが随所に盛りこまれている。

絵描き。イラストやグラフィックデザインのほか、ライブペインティングやアートディレクション、さまざまな企画を手掛ける。絵本「ハンドトーク ジラファン(小学館)」ほか、書籍多数。NHK「みんなの手話」、フジテレビ「モアセブン(めざましテレビ)」等のアニメーション作品の制作、手話アートブック、エッセイ等の著作。宮本亜門、佐野元春、HY、大沢誉志幸等のアートワークを手掛けるなど、多岐に渡るフィールドで活躍する。
絵描き 門 秀彦 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
]]>リハビリテーション科 医学博士 渡邉 修 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
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Believerとは?
福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。
文と写真●Believe Japan
東京慈恵会医科大学附属第三病院リハビリテーション科の渡邉 修先生は、脳に障害を受けてしまった方が運転を再開することを助ける「自動車運転外来」を行なっている。外傷や腫瘍等が原因で脳の機能を一部失った方が、再度運転できるかどうかの判断をしたり、リハビリテーションをとおしての機能回復に取り組んでいる。渡邉先生に、活動に対する思いを聞いた。
最初、私は脳失血や脳出血、脳外傷などの患者さんを診る脳神経外科医でした。交通事故などで意識を失った状態で病院に運ばれてきた患者さんの場合は、手術をしたり、急性期(損傷が起きたばかり)の低体温療法などで治療をすると、たしかに命は助かり、身体的にも回復していきます。しかし、脳は非常にデリケートな組織なので、脳挫傷や脳出血が生じると、どうしても傷が残ります。うずらの卵ほどの小さな傷ですと、回復の後、支障なく日常生活が送れるのですが、にわとりの卵ほどの損傷となりますと、ほとんどの場合、後遺症が出てしまいます。すると、その方は、「命は助かったけれど、社会に戻っていけるのか……」ということが問題となってきます。なんとか「救命」されても、「救脳」はされないということです。そうなると、患者さんだけでなく、家族の方も社会的に孤立していってしまいます。「ウチの息子を置いて先には死ねない」という親御さんにもたくさん出会ってきました。それは、もはや脳外科医に対応できることではありませんでした。

私が脳神経外科医だったころは、「高次脳機能」いわゆる認知能力のダメージについては、「それでおしまい、するべきことは無い」という風潮でした。医師も、患者さんや家族の方に「これで諦めてください」と伝えるしかありませんでした。それは、「命が助かっただけよかったじゃないですか」とも聞こえました。それでは患者さんとご家族は、社会から疎外されたままなのです。わたしはその現実に疑問を感じました。そして、患者さんが社会復帰、社会参加していけるようにするためのリハビリテーションに関心が向いていきました。ありがたいことに、そんな私を支援してくださる先生方がおりました。当時、私は浜松の病院にいたのですが、東京の慈恵医科大や研究会によく連れて行っていただきました。それが、リハビリ研究のスタートでした。
リハビリテーションを学ぶため、ストックホルムのカロリンスカ病院というところに勤務していたのですが、そこで印象的だったのは、いわゆる「患者さんファースト」という考え方ですね。日本でも最近は一般的になってきましたが、「患者の権利」と書かれたパンフレットが院内で最初に渡されるなど、とても新鮮な驚きでした。治療の意思決定なども、すべて患者さん中心で行われていました。また、当時のカロリンスカ病院では、患者さんが30分以上待たされると診察費が無料になるというルールがありまして、待合室で長く待たされるということはほとんどありませんでした。スウェーデンは人口が少ないこともありますが、病気や身体の不具合を抱えていらっしゃる方を待たせるということは、考えられない文化だったのですね。

また、私が参加していた脳疾患患者の家族会があるのですが、ご家族の方たちも、さまざまな意思決定は「患者本人を中心にすすめていきたい」という意見がほとんどでした。さらに、国が支援している大企業では、それぞれの状態に合わせた仕事が用意されていました。「計算は苦手だが絵を描くことはできる」など、自分の障害に合わせた仕事によって収入を得るという考えが国全体で共有されているのです。自立や社会復帰などが重要視されているのですが、これは患者さん個人やご家族の幸福にもつながると思います。それこそが本当の意味での「患者中心の医療」なのだと深く思わされました。
また、当時、私の息子が日曜日に小児の感染症である猩紅熱(しょうこうねつ)にかかってしまい、病院に連れて行ったのですが、医師が診察室を出て、廊下で待つわれわれのところまで歩いてきて、握手をしながら「わたしがお子さんを拝見させてもらいます」と挨拶をしたのでした。そこである種、患者さんと医師の間に「契約」が成立して「治療」がはじまるという流れでした。それは本当は当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私は大きな衝撃を受けました。以来、日本に戻ってきてからも、自分で立ち上がって患者さんにご挨拶に行き、診察室に招き迎えるということを行わせていただいています。おかげで、とてもよいことがあります。招きいれるということで、そのときの患者さんの歩行状況をつぶさに見ることができるのです。カルテに目をやりながら「どうぞ」というのとは違って、私の診察はすでにはじまっているのです。
医療はさまざまに進化しております。破壊や損傷を受けた脳細胞を人工的に作り出すような研究も行われています。しかし、残念ながら現段階で「特効薬」というものは存在しません。脳はほかの臓器と比べると非常に複雑で「そのひとの人生が詰まっている」最高中枢であるわけです。運動機能などはマヒしてもそのひとの人格が問題となることはないでしょう。そして、機能を復活させるための方法もいくつか確立されています。ところが、注意力や集中力、または記憶力、性格などという認知能力となると話は別です。われわれはサルから人間へと進化したとき、前頭葉が大きく膨れ上がって社会性を帯びていったわけなのですが、とくに前頭葉はあまりに高次な臓器なので、簡単に治すことが非常に困難なのです。認知リハビリテーションでは、薬も使うのですが、手術をするなどの治療はなかなかできないのが現状です。アメリカや日本の病院の一部では、パーキンソン病の患者さんの脳に電極を埋め込む治療(脳深部刺激療法)などが行われていますが、まだまだ課題は多いですね。
私が学び、実践しているのは、患者さんとご家族を取り囲む病院、医師などさまざまな職種が包括的に一体となって、サポートしていくという支援体制です。そうすることで、患者さんの脳が徐々に再編されて、機能の改善につながっていくという証拠があります。それが、現状ではもっとも「納得ができる」方法であり、手ごたえもあります。また、それがいちばん自然であるとも考えています。幸いにして人間の生体は非常によくできていて、損傷してからもまた回復し、もう一度つくり直していこうとする機能があるのです。たとえば、手をちょっと切っても、すぐに傷口はふさがるものですが、脳も同じなのです。ただ、「こうすれば治る」というようなものはありません。関わる人間すべてが、粘り強く向き合っていくことが求められています。
クルマを運転するためには、高度な認知能力が必要です。そして、それはつねにさまざまな判断をし、ルールを遵守するという非常に社会性のある行動です。そういう考えで「自動車運転外来」も行わせていただいています。
患者さんもご家族の方も、場合によっては遠いところから病院にいらしていただいています。そこで、私が若い医師や研究生に語るのは、医療の現場も「商売」であるということです。お客さまである患者さんたちに、「来てよかった」という充足感を得てもらえなければいけないと説明しています。また、われわれは「選ばれている」ということを自覚する必要があるということ。そして、「自分の家族のように診る」ということを必ず伝えています。患者さんとそのご家族に寄り添い、その方たちがどのような気持ちでいるのか、ということを十分に理解して接していくという姿勢が何より大切であると考えます。

第三回 渡邉 修(わたなべ しゅう)氏
医学博士、日本脳神経外科学会専門医、日本リハビリテーション医学会専門医。東京慈恵会医科大学附属第三病院リハビリテーション科診療部長を務めながら、東京慈恵会医科大学教授として、日々、研究と後進の育成に精力的に取り組む。
自動車を再び運転するため 高次脳機能障害のリハビリテーション
リハビリテーション科 医学博士 渡邉 修 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
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]]>Believerとは?
福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。
文●久保加緒里 写真●Believe Japan
2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックが大いに盛り上がり、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会に向けて日本でも注目度が高まっている「パラスポーツ」。その魅力は、活き活きとチャレンジを続けるアスリートたちの姿にある。
2011年に日本障がい者スポーツ協会の理事に就任して以来、パラスポーツに深く関わってきた山脇 康さんに、その魅力についてお話をうかがった。
パラリンピックをはじめとするパラスポーツの大会に自ら足を運び、さまざまな競技を観てきた山脇さんは言う。「パラスポーツは知れば知るほどおもしろいんです。福祉や障がいという視点ではなく、純粋にスポーツとして楽しめるんです。ひとりでも多くの人に、是非とも競技を観て、知って、アスリートたちを応援していただきたいと思っています」。
現在ではパラスポーツ界を牽引し、広める立場の山脇さんだが、6年前までパラスポーツとはまったく無縁だったという。仕事上でもプライベートでも懇意にしている東京ガスの会長(当時)の鳥原光憲さんが日本障がい者スポーツ協会の会長に就任した際、「ちょっと手伝ってくれないか」と声をかけられ、ビジネスで培ってきたことをパラスポーツ界の運営に活かせるかもしれないと思って理事の仕事を引き受けたのだ。

「まずは競技のことを知らなければいけない」と考えた山脇さんは、2012年3月に長野県の白馬村で開催されたアルペンスキーとクロスカントリーのジャパンパラ大会を観戦した。はじめて競技を観た瞬間の衝撃はいまも鮮明に覚えている。理屈抜きで「すごい!」と感じたという。
「人間の持つ可能性の大きさ、潜在能力のすごさを見せつけられた気がしました。オリンピックの選手ももちろんすばらしいのですけれど、彼らはまるで別の惑星から来たかのような“超人的”なところがありますよね。パラスポーツの選手は先天的か後天的かのちがいはあっても、みんな何らかの障がいがあるなかで、残された機能を磨きあげ、多くの人が持っている能力を最大限に高めたら、こんなことまでできるようになる、ということを体現しているわけです。本当に驚いたし、大いに刺激を受けました」。
ビジネスの世界で数多くの修羅場を経験してきた彼だが、そんな自負も軽く吹き飛んでしまった。
「パラスポーツでトップアスリートになる人たちは、みなさん例外なくポジティブです。残された機能の何%を活用しているかという観点で見ても、私など到底及ばないと思います。学ぶべきことは非常に多いです」と山脇さんは言う。人間はだれしも、望むと望まざるとに関わらず人生の岐路に立たされることがある。パラアスリートは、自分の障がいや起こってしまったことも受け容れて、前向きにできることをやっていく。頭でわかっていてもなかなか実践できないことをやり遂げているからこそ、だれもがパラアスリートたちの活躍に励まされたり、背中を押されたりするのだろう。
現在の日本では、先天的または後天的な障がいを持っている人は人口の5~7%だと言われている。障がいのない95%前後の人たちが休日にゴルフやテニスを楽しむことはできても、障がいのある人たちが日常的にスポーツができるような世の中には、残念ながらまだなっていない。
スイミングプールやジムの利用を断られることは少なくないし、ブラインドランナーの伴走者なども非常に不足している。また、ブラインドサッカーをやりたくてもチームが少ない。「車椅子バスケットボールは、競技用の車いすで床が傷つくから」と体育館の使用を断られることもある。パラ・アルペンスキーが練習できるスキー場はごく一部だ。そして、どの競技でも指導者不足は深刻だ。
「障がいのある人とない人とでは“当たり前”がちがいます。パラスポーツのすそ野を広げていくためには、障がいを持たない95%の人にも理解してもらうことが不可欠なのです。パラスポーツのルールや見どころ、楽しさを知って、パラスポーツに目を向けてもらう。みんながパラスポーツを知って楽しんでいる社会へ変われば、障がい者や高齢者にも住みやすい社会になるのではないかと山脇さんは考えている。

日本財団パラリンピックサポートセンターには、28のパラリンピック競技団体が集結している。
日本財団パラリンピックサポートセンターでは、無償で事務所スペースを提供するとともに、競技団体の基盤整備、自立に向けての助成金やバックオフィスサポート、広報支援などを行っています。ここでは、車いす使用者やブラインドの人など、障がいを持ったスタッフもいます。むしろ私のように障がいがない者のほうがマイノリティで、通路が広くてまっすぐなオフィスでは車椅子のスタッフより移動に時間がかかるし、ミーティングのときに椅子のことを考えなければいけないし、不便を感じることもあるぐらいです(笑)。なにが“当たり前”なのかは環境によってまったく変わるし、“障がい”は人の心がつくり出すのだと日々実感しています」
環境が変われば人の意識が変わる。意識が変われば社会のルールやハードは寄り添っていく。その先は、障がいのある人、ない人、高齢者、こども、妊婦など、多様性が認められる社会、だれもがその人らしく生きられる「共生社会」へとつながっている。
「2020年のパラリンピック東京大会は千載一遇のチャンスです。パラリンピアンが最高のパフォーマンスを見せることで、人々の意識が変わり、社会が変わる。将来、東京オリンピック・パラリンピックが共生社会へのターニングポイントになったね、と言われるような大会にしていきたいと思っています」と、山脇さんは力強く語った。

2020年の夏季大会の前に、2018年の平昌冬季大会がやってくる。どのような盛り上がりを見せ、どのように日本の社会が変わりはじめるのか気になるところだが、まずは純粋にアスリートたちに声援を送りたい。
第二回 山脇 康(やまわき やすし)氏
日本郵船の重役を歴任し、現在は日本パラリンピック委員会 委員長ならびに国際パラリンピック委員会 理事、日本財団パラリンピックサポートセンター 会長を務め、障がい者スポーツの普及、社会認知向上に邁進する。


2018年の平昌冬季大会の代表選考会に向けて、今後大きな大会が目白押しとなる。
日本パラリンピック委員会 委員長 山脇 康 氏はBelieve - ビリーヴ ジャパンで公開された投稿です。
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