「言葉を交わす」ことだけがコミュニケーションではないと信じています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●Believe Japan 写真●Believe Japan、HandmadeCreative コミュニケーションとしてのアート表現や、手話をテーマにした創作活動を国内外で行う門 秀彦(かど ひでひこ) さん。「ハンドトーク(HAND TALK)」をコンセプトに、「絵描き」として絵画作品や絵本を制作するほか、ミュージシャンとのライブペインティングや巨大なキャンバスにみんなで一緒に絵を描く「らくがきワークショップ」などを精力的に行う氏に、自身の活動についての想いを語っていただいた。 イラスト、グラフィックデザイン、ライブペインティングと多彩にご活躍されていますが、門さんが絵を描きはじめたきっかけは何だったのでしょうか? 僕は両親とも耳が不自由でしたので、コミュニケーションの手段として、幼い頃から手話をフォローするように「絵」を描いてきました。ビジュアルの方が手っ取り早かったり、描かないとどうしても伝えられないことがあったので、筆談のように絵を描いては見せていたんですね。その日学校であった出来事などを描くのですが、両親はいつも、僕が描き終わるのを静かに待っていてくれました。おかげで僕にとっては、「絵を描く」ということが、自分の「想い」をほかのひとに伝える手段として自然なものとなっていったのです。 よく小学校の図画工作の授業で、時間の都合で「今日はここまで、続きは次回に」となるのですが、普段から絵を描くことに慣れていた僕にはそれがまどろっこしくて、いつも最初の時間に2つほど描き上げていました。それでホッとして休んでいると、先生からよく注意され、成績はよくありませんでした(笑)。ですが、展覧会などでは賞をもらったりしていました。 作品では、絵の中に「手話」が描かれていますが、それはいつ頃からでしょうか? 僕が20歳のとき、長崎の目抜き通りにある店舗で改築工事が行われることになりました。そして、工事期間中、あまりに殺風景で街の美観を損ねるという理由から、壁一面に絵を描こうということになりました。最初、知り合いが依頼されたのですが都合がつかず、僕が紹介されました。... ...
On 2018年3月15日 / By wpmaster脳にはそのひとの人生が詰まっています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文と写真●Believe Japan 東京慈恵会医科大学附属第三病院リハビリテーション科の渡邉 修先生は、脳に障害を受けてしまった方が運転を再開することを助ける「自動車運転外来」を行なっている。外傷や腫瘍等が原因で脳の機能を一部失った方が、再度運転できるかどうかの判断をしたり、リハビリテーションをとおしての機能回復に取り組んでいる。渡邉先生に、活動に対する思いを聞いた。 リハビリテーションの研究に携わることになったきっかけを教えていただけますか? 最初、私は脳失血や脳出血、脳外傷などの患者さんを診る脳神経外科医でした。交通事故などで意識を失った状態で病院に運ばれてきた患者さんの場合は、手術をしたり、急性期(損傷が起きたばかり)の低体温療法などで治療をすると、たしかに命は助かり、身体的にも回復していきます。しかし、脳は非常にデリケートな組織なので、脳挫傷や脳出血が生じると、どうしても傷が残ります。うずらの卵ほどの小さな傷ですと、回復の後、支障なく日常生活が送れるのですが、にわとりの卵ほどの損傷となりますと、ほとんどの場合、後遺症が出てしまいます。すると、その方は、「命は助かったけれど、社会に戻っていけるのか……」ということが問題となってきます。なんとか「救命」されても、「救脳」はされないということです。そうなると、患者さんだけでなく、家族の方も社会的に孤立していってしまいます。「ウチの息子を置いて先には死ねない」という親御さんにもたくさん出会ってきました。それは、もはや脳外科医に対応できることではありませんでした。 私が脳神経外科医だったころは、「高次脳機能」いわゆる認知能力のダメージについては、「それでおしまい、するべきことは無い」という風潮でした。医師も、患者さんや家族の方に「これで諦めてください」と伝えるしかありませんでした。それは、「命が助かっただけよかったじゃないですか」とも聞こえました。それでは患者さんとご家族は、社会から疎外されたままなのです。わたしはその現実に疑問を感じました。そして、患者さんが社会復帰、社会参加していけるようにするためのリハビリテーションに関心が向いていきました。ありがたいことに、そんな私を支援してくださる先生方がおりました。当時、私は浜松の病院にいたのですが、東京の慈恵医科大や研究会によく連れて行っていただきました。それが、リハビリ研究のスタートでした。 スウェーデンの病院で研究されておりましたが、北欧と日本とで、リハビリテーションに関する考え方の違いはあるのでしょうか? リハビリテーションを学ぶため、ストックホルムのカロリンスカ病院というところに勤務していたのですが、そこで印象的だったのは、いわゆる「患者さんファースト」という考え方ですね。日本でも最近は一般的になってきましたが、「患者の権利」と書かれたパンフレットが院内で最初に渡されるなど、とても新鮮な驚きでした。治療の意思決定なども、すべて患者さん中心で行われていました。また、当時のカロリンスカ病院では、患者さんが30分以上待たされると診察費が無料になるというルールがありまして、待合室で長く待たされるということはほとんどありませんでした。スウェーデンは人口が少ないこともありますが、病気や身体の不具合を抱えていらっしゃる方を待たせるということは、考えられない文化だったのですね。 また、私が参加していた脳疾患患者の家族会があるのですが、ご家族の方たちも、さまざまな意思決定は「患者本人を中心にすすめていきたい」という意見がほとんどでした。さらに、国が支援している大企業では、それぞれの状態に合わせた仕事が用意されていました。「計算は苦手だが絵を描くことはできる」など、自分の障害に合わせた仕事によって収入を得るという考えが国全体で共有されているのです。自立や社会復帰などが重要視されているのですが、これは患者さん個人やご家族の幸福にもつながると思います。それこそが本当の意味での「患者中心の医療」なのだと深く思わされました。 また、当時、私の息子が日曜日に小児の感染症である猩紅熱(しょうこうねつ)にかかってしまい、病院に連れて行ったのですが、医師が診察室を出て、廊下で待つわれわれのところまで歩いてきて、握手をしながら「わたしがお子さんを拝見させてもらいます」と挨拶をしたのでした。そこである種、患者さんと医師の間に「契約」が成立して「治療」がはじまるという流れでした。それは本当は当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私は大きな衝撃を受けました。以来、日本に戻ってきてからも、自分で立ち上がって患者さんにご挨拶に行き、診察室に招き迎えるということを行わせていただいています。おかげで、とてもよいことがあります。招きいれるということで、そのときの患者さんの歩行状況をつぶさに見ることができるのです。カルテに目をやりながら「どうぞ」というのとは違って、私の診察はすでにはじまっているのです。... ...
On 2017年10月25日 / By wpmaster© 2016-2020 Believe Japan, Inc. All rights reserved.