「言葉を交わす」ことだけがコミュニケーションではないと信じています
Believerとは?
福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。
文●Believe Japan 写真●Believe Japan、HandmadeCreative
コミュニケーションとしてのアート表現や、手話をテーマにした創作活動を国内外で行う門 秀彦(かど ひでひこ) さん。「ハンドトーク(HAND TALK)」をコンセプトに、「絵描き」として絵画作品や絵本を制作するほか、ミュージシャンとのライブペインティングや巨大なキャンバスにみんなで一緒に絵を描く「らくがきワークショップ」などを精力的に行う氏に、自身の活動についての想いを語っていただいた。
イラスト、グラフィックデザイン、ライブペインティングと多彩にご活躍されていますが、門さんが絵を描きはじめたきっかけは何だったのでしょうか?
僕は両親とも耳が不自由でしたので、コミュニケーションの手段として、幼い頃から手話をフォローするように「絵」を描いてきました。ビジュアルの方が手っ取り早かったり、描かないとどうしても伝えられないことがあったので、筆談のように絵を描いては見せていたんですね。その日学校であった出来事などを描くのですが、両親はいつも、僕が描き終わるのを静かに待っていてくれました。おかげで僕にとっては、「絵を描く」ということが、自分の「想い」をほかのひとに伝える手段として自然なものとなっていったのです。
よく小学校の図画工作の授業で、時間の都合で「今日はここまで、続きは次回に」となるのですが、普段から絵を描くことに慣れていた僕にはそれがまどろっこしくて、いつも最初の時間に2つほど描き上げていました。それでホッとして休んでいると、先生からよく注意され、成績はよくありませんでした(笑)。ですが、展覧会などでは賞をもらったりしていました。
作品では、絵の中に「手話」が描かれていますが、それはいつ頃からでしょうか?
僕が20歳のとき、長崎の目抜き通りにある店舗で改築工事が行われることになりました。そして、工事期間中、あまりに殺風景で街の美観を損ねるという理由から、壁一面に絵を描こうということになりました。最初、知り合いが依頼されたのですが都合がつかず、僕が紹介されました。
描いていると、通行人や観光客の方が話しかけてきます。そしてある日、「こういうのは日本では珍しい、素敵ですね。今度はあなたの絵の前で友達と待ち合わせします」といってくれる外国の方がいました。僕はそれから、完成しかかっていた絵を見つめ、絵の一部を描き直す決心をしました。そして、「ひとが待ち合わせている絵」に描き変えました。それを両親に見せると、「いいねえ。自分たちもおまえの絵の前で友達と待ち合わせるかね」と言ってくれました。そうすると「ろうあ者のひとも来るなあ(笑)」ということで、手話をしているひとを描きこみました。またある日、僕の知り合いの雑貨屋さんが来て「これカッコいいねえ」というのです。そのひとは手話を知らなくて、ヒップホップのジェスチャーだと思っていたらしいのです(笑)。それで、これは日本の手話ですと説明すると、「すごいカッコいい!」とさらに喜びました。また、それをTシャツにしたいというので描いて作ると、すぐに完売しました。
僕の親の世代は、人前でなるべく手話をしないようにしていたそうです。僕も気がつかなかったのですが、食事に行っても個室であったり、人目につきにくい席を選んで座り、目立たないように会話していたというのです。そんなひとたちにとって、おしゃれな若者たちが「手話」の絵が描かれたシャツを着て街を歩く、などということは想像もできなかったようです。でも、その光景を見た父親は「うれしいねえ」と喜んでくれました。それが、僕が手話の絵を描きはじめたきっかけです。
門さんはハンドサイン(手話)ではなく、「ハンドトーク」という言葉を使われますが、どのようなものなのでしょうか?
「手話」というのは、健聴者の方々にとって、理解するのがとても難しい場合があります。手話にはじつは、個々人の「くせ」というものが存在しまして、耳の不自由な方同士による会話でも、困難な場合があります。スピードも早く、健聴者の方がろう者と同じように自然に会話ができるようになるのはとても難しいです。また、身体の不自由な方のことを「しっかり理解してから接しよう」としたり、逆に親切にするのは偽善的に見られるから近づかない、といったことを考える方もいるかと思います。でも、それはもっと先のこととして忘れてしまっていいと思います。僕はそうやってハードルを上げてしまうのはではなく、もっと気軽に、耳の不自由な方と健聴者の方が、互いにただ接したり交流できるようになればいいなあと思います。ごく表面的なところからでもいいと思います。人間的に「合う、合わない」はその先の話だと思います。
個人的には、ろうあ者が、健聴者に対して行う手話、ジェスチャーが好きです。ゆっくりと分かりやすく表情も豊かに、ややオーバーな感じで「わかってもらおう」とするしぐさの優しさがいいのです。厳密にいうと、それは手話とは少しかけ離れたもので、だから「ハンドトーク」と呼んでいます。「ハンドトーク」は、そうしたジェスチャーだけでなく「絵」を通してであったり、「音楽」を通じてであったり、単に握手やハグ、料理、スポーツなど、「心の交流ができる、気持ちを込められる」ものはすべてがハンドトークなのです。たとえば、われわれ日本人がネイティブのように英語を話すことはできませんが、たとえカタコトであったとしても、表情や身振りを交えれば、気持ちは十分に伝わるというのと同じです。健聴者もろうあ者も、恥ずかしがらずにコミュニケーションを取り合ってほしいですね。
そこにはちょっとの困難があって、お互いが頑張って歩み寄ります。すると、健聴者同士、ろうあ者同士にはない、独特の優しく深い関係が生まれてきたりもします。僕はそこに感動せずにはいられません。
そういった「ハンドトーク」によるコミュニケーションが描かれている絵本「ハンドトーク ジラファン」が話題となっています。絵をはじめ、ストーリーや構成もすべて門さんがなさったということですが。
そうですね。「ハンドトーク ジラファン」は長く構想を温めてきた作品でして、そこで願ったことは、読んだひとの「記憶に残ってほしい」ということです。僕の名前や絵は忘れられても構わないのですが、そこにある「想い」というものは、なんとなくでも心に残ってほしいと思います。また、ストーリーや場面などについて、一般の児童書の様に丁寧な説明は敢えてしていません。年齢もそうですが、さまざまな境遇のひとが、それぞれの感じ方をなさってくれればいいと考えています。たとえば作中に、いつも独りぼっちでいる少女が登場するのですが、この子についても、その理由が「精神的にふさぎ込んでいる」のか「親が厳しく、閉じ込められている」のかなどの説明はありません。読むひとなりの解釈に委ねたいと思っています。ほかのキャラクターについてもそうですが、意図的に説明を省くことで、2回目、3回目に読んだときに、「ここにこんなのがあるんだ」というように、絵を通して発見があればいいなあと思います。
「ハンドトーク ジラファン」には、話が通じない、手話が通じないといった場面で、諦めずに「音楽」というコミュニケーションの方法を見出すところを描いています。みんなが少しずつ歩みよれば、心の交流はできるという希望を込めています。
手のような大きな耳を持つゾウでもキリンでもない、言葉がなくてもみんなとコミュニケーションができる不思議な動物。ジラファンのコミュニケーションは「ハンドトーク」。
門さんの絵は、色使いが非常に鮮やかですね。
僕が赤緑色弱であることも原因のひとつかもしれませんが、若いときから「あなたの絵は、外国のひとが描いたみたい。日本よりも海外向きかもしれない」、「外国に行ったほうが理解されそうだね。絵は国境を越えるからね」ということをさまざまなひとから言われてきました。でも自分ではよくわかりませんでした。海外にツテもなく、行動をとくに起こすことはありませんでした。
するとあるとき、アフリカのウガンダに2年間住んでいたという養護学校の先生が、東京で開いた個展を訪れてくれました。そして「この絵をウガンダの子供たちに見せたい」と言われました。また会場で、私が聾(ろう)学校で教えている様子のスライドを流していたのですが、それを見て「アフリカの子供たちにこれと同じことを経験してもらいたい」と話されました。これはいいチャンスだと思い、後日、その方と一緒にウガンダの聾学校に行きました。子供たちと交流したり、現地で先生の知り合いのお宅に行き、絵を描いて差し上げると、なぜだか信じられないくらいにみなさんに喜んでいただきました。ウガンダと日本は手話も大きく異なり、言葉はほとんど通じないのですが、みんな私のそばを離れず、また描いた絵を壁に飾ってくれたりして感激でした。
門さんは「ライブペインティング」という活動を積極的に行われていますが、これはどのようなものなのでしょうか?
以前、共同で個展を開いた写真家さんから、ある日「白神山地」にあるブナの木の写真をいただきました。それは、ひとがなかなか立ち入れない場所にある巨木の写真でした。ものすごい迫力で、感動しました。そしてブナの木をテーマにした絵を1カ月くらいかけて描きました。それを写真家さんに渡すと、その方はもともとミュージシャンの方で「門くんの絵の前で歌をうたいたい、仲間を集める!」ということになりました(笑)。場所はその方のご自宅。お客さんはいませんでしたが、即興で音楽が生まれていく様子には興奮しました。そして、ただ見ているだけでなく、自分もその場で絵を描いて、セッションに参加したくなりました。スピード勝負となってくるので、素早く綺麗に描ける画材を真剣に探しましたよ(笑)。そしてクレヨンにたどり着きました。それで必死に描いていると、絵を描きはじめた幼ない頃と同じ感覚が甦ったのは新鮮でしたね。
もともと白神のブナの木があって、そのパワーを感じた写真家さんが撮影し、その写真からインスピレーションを受けた僕が絵を描き、その絵を観て音楽が演奏される。それは「言葉」を超えたコミュニケーションで、僕の言うハンドトークそのものでした。それが今日行っている「ライブペインティング」のはじまりです。
「らくがきワークショップ」という活動は?
ろう学校で行なった「自分と同じ大きさと段ボールに自由に絵を描く」という課外授業がはじまりで、今では学校にかぎらず、いろんな場所で、イベントで行なっています。「らくがきワークショップ」は床一面にダンボールを敷いて描いていくわけなのですが、すぐにクレヨンで描きはじめる子もいれば、僕が描く虹などに感化されながら描きはじめる子もいます。僕のワークショップでは、テーマに沿って上手に描くというのではなく、見ず知らずの人間たちが集まってみんな好き勝手に描いていくという感じです。そうすると、楽しいだけでなく、邪魔されたりもする。描きたいスペースに先にほかの子が描いてしまったりということも含めて、毎回毎回が再現不可能な「セッション」のようなもので、そこにはすごいエネルギーが集ってきます。いつしか付き添いの大人たちも加わって描きはじめ、最後まで残って描いているのはいつも大人たちです(笑)。先日もイベントで行ってきたのですが、毎回発見や気づきがあります。
子供といっても、小学校の低学年ともなると、描く前に考える、考えながら描く様になります。「下書きしていいですか? 消しゴム使っていいですか?」と聞いてくる子もいますし、何らしかの自分の「想い」を込め、絵を通して人柄が伝わってくる場合もあります。対照的に、小さい子は思いつきや本能で描いていく子が多いですね。僕はどちらも好きです。本人が「やった! 描いた!」と感じられるかが大切だと思います。
若い世代、子どもたちに期待するのは、どのようなことでしょうか?
芸術を志すひとの多くは、絵描きや芸術家に憧れてはじめますが、僕は全然アート志向がなく、絵を描くことよりもむしろ写真とかグラフィックデザインや詩に、興味や憧れがありました。「絵」というのは、自分にとってはあまりに当たり前で、上手いとも思っていませんでしたし、時代に合っていないとも感じていました。また、個人的な好みの世界であり、中高生の頃は、絵に「力」があるなどとは思いませんでした。なので、僕は、写真家が「いまを撮るように」、「絵」を描きたいと思っています。「技法」よりは、「何を描くか」を大事にしたいと思います。親からもらった自分の個性や環境であるとか、内面の世界を描きたいと思っています。僕はろうあ者ではないですが、僕の生きてきた経験と手話とは切り離せないものです。
子供たちにも、何かを真似して上手に描くのもいいですが、何か自分が描きたいと思うものを、自分が描きたいように描いてほしいと思います。コミュニケーションもそうで、ろうあ者、健聴者共に、「こうしなければ」とか、「どうしよう」と気を使いすぎるのではなく、感じたこと、思ったことをもっと素直に伝えあってほしいですね。言葉、手話が通じない場合は、ジェスチャーでも表情でもいいです。まずは気楽に触れ合っていけたら素敵ですね。
さまざまな分野に活動の場を広げる門さん。2018年4月2日(月)からは、NHKのEテレで、自身が作画とストーリーを手がけるアニメーション「キャラとおたまじゃくし島」がスタート。先行放送として1話~5話が、3月30日(金)午前0時30分~(29日木曜日深夜)が放送される。主人公の少女が、「音楽」がコミュニケーションの鍵となる神秘の世界で冒険する物語にも、ハンドトークが随所に盛りこまれている。
第4回 門 秀彦(かど ひでひこ)氏
絵描き。イラストやグラフィックデザインのほか、ライブペインティングやアートディレクション、さまざまな企画を手掛ける。絵本「ハンドトーク ジラファン(小学館)」ほか、書籍多数。NHK「みんなの手話」、フジテレビ「モアセブン(めざましテレビ)」等のアニメーション作品の制作、手話アートブック、エッセイ等の著作。宮本亜門、佐野元春、HY、大沢誉志幸等のアートワークを手掛けるなど、多岐に渡るフィールドで活躍する。
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