文⚫︎Believe Japan 写真⚫︎Believe Japan、スズキ
2026/9/1(火)配信
買い物に出かける。友人と会って会話や食事を楽しむ。季節で変化する近所の景色を見てまわる。日常の外出は、豊かな暮らしを支える大切な時間だ。しかし、年齢を重ねるにつれ、長い距離を歩くことや坂道の移動に身体的な負担や不安を感じる人は少なくない。そうした人たちの「なるべく人の手を借りずに」、「自分の力で自由に出かけたい」という思いを長年にわたり支えてきたのが、スズキのセニアカーだ。
セニアカーは、道路交通法では歩行者として扱われる電動車いす。今日ではさまざまな電動モビリティが登場しているが、セニアカーは半世紀以上にわたって利用者の声を反映しながら進化を重ねてきた。その背景には、二輪車・四輪車づくりで培われたスズキの高度な技術と安全性、使いやすさを追求し続けてきた開発の積み重ねがある。
福祉機器への挑戦は電動車いすから

セニアカーの原点は、1970年代に始まった電動車いすの開発であった。1973年、スズキは軽自動車やオートバイの開発で培った技術を社会福祉に役立てようと、福祉機器の開発プロジェクトを立ち上げた。そして最初に開発目標に設定したのが電動車いすだった。当時の社内には、電動車いすに関する知識や経験はほとんどなく、まさに手探り状態でのスタートとなった。
プロジェクトチームは、日々研究やテストを重ねていくが、ほどなくして青森県から100台の電動車いす導入の要請を受けたことで、開発は一気に加速していく。歩行が困難なユーザーを対象とした製品開発は、細部にわたって入念に検討が行われ、青森県主催の試乗会を無事に成功させる。そして1974年に誕生したのが、スズキ初の電動車いす「モーターチェアZ600」である。当初、施設内での利用を目的に開発されたZ600は、利用者が自分の意思で自由に移動できることを目指し、手元のレバーで前進・停止・後退を操作できる電動制御を採用。当時としては画期的な操作性を備えたモデルであった。その後、「屋外でも利用したい」というユーザーの声を受けて改良が重ねられ、翌1975年にはZ601という屋外走行も可能なモデルを登場させる。当時、福祉機器の開発はスズキにとって未知の分野であったが、利用者の声をフィードバックしながら改良を重ねるという姿勢は、この頃から一貫して受け継がれていく。

1975年はまた、通商産業省(当時)で電動車いすのJIS規格設定に向けた審議が始まる年でもあった。そして厚生省(当時)による「日常生活用具給付事業」の品目に電動車いすが新たに追加され、労働省(当時)が「労災保険給付(整形外科診療)」品目に電動車いすを採用するなど、社会全体が急速に変化していった。そして各省庁が公費による無償給付制度をスタートさせたことで、スズキの電動車いすの販売台数は年々増加していった。1976年には通商産業省(当時)の医療福祉機器開発研究組合に参加し、本格的な普及を見据えた「モジュール型電動車いす」の受託開発が始まった。産官学共同で研究開発が行われ、松下電器(現・パナソニック)がバッテリー関連を受け持ち、それ以外をスズキが担当した。利用者によって体格や障がいの程度は異なるため、一人ひとりのユーザーに合わせて部品を組み合わせられる構造を採用し、1979年には量産モデルを発売。その後も改良は続けられた。こうした開発と同時に、全国の福祉施設への寄贈や普及活動にも積極的に取り組み、電動車いすという新しい移動手段の認知拡大にも貢献していく。
高齢化社会が生んだ「セニアカー」

1970年代の後半、日本では高齢化が急速に進み始めた。1970年には65歳以上の人口が700万人強に達し、高齢化率は7%を突破。その後も高齢化は加速し、1979年には高齢者人口が1000万人を突破、高齢化率はおよそ9%に達した。こうした社会の変化を背景に誕生したのが、高齢者を主な対象とした電動三輪車「セニアカー」であった。
1985年、スズキは国内で初めて、高齢者を主なユーザーとする電動三輪車「セニアカー ET10」を発売した。家庭用コンセントで手軽にどこでも充電できる電動三輪車で、最高速度は歩行者と同程度の約4km/h。アクセルレバーを放すと自動的に減速・停止する電動ブレーキを採用し、安全性にも十分配慮されていた。また、約5.5時間の連続走行を可能にするバッテリーを搭載し、買い物や通院など日常生活の足として活躍していった。そして、その2年後には電動車いすの基準が改正され、最高速度が6km/h以下まで認められるようになる。これを受けてスズキは低速・中速・高速の3段階で速度を切り替えられる機能を採用するなど、制度改正にも柔軟に対応していった。

1990年には「国際花と緑の博覧会」にモーターチェアやセニアカーを提供し、多くの来場者が利用した。こうした機会を通じて、電動車いすやセニアカーの存在がさらに広く知られるようになっていった。そして2000年は、セニアカーにとって大きな転機となった。介護保険制度の開始により、セニアカーが福祉用具の貸与対象となり、介護認定を受けた人がレンタルで利用できるようになったのである。この制度開始を追い風に、セニアカーの需要は大きく伸びていった。

コンセプトモデルも意欲的に発表

その後も利用者のさまざまなニーズに応えるべく、公共施設や商業施設でも扱いやすい小まわり性能や、歩行者と自然に並走できる速度調整機能などを採用し、使いやすさを追求した研究が行われている。また、意欲的なコンセプトモデルもおもしろい。

2006年には家庭で充電する代わりに液体燃料から発電する燃料電池を搭載した「MIO(ミオ)」を発表。2014年には都市部での利便性を重視した「UTコンセプト」、2018年には歩行補助車と電動車いすの機能を組み合わせた「KUPO」、2019年には利用者の後ろを自動で追従し荷物を運搬する「MITRA」を発表し、多様化する「移動」に対応しながら利用者を支えるという考え方も見せている。
なおセニアカーの現行モデルには、前方に障害物がある場合にメーターの点滅とブザーで警告して自動で減速する「障害物検知サポート」や、運転者が急な障害物などの危険を察知してハンドルを強く握ると急停車する「握り込み緊急停止機能」などの優れた安全機能が装備されている。その安全性と快適性の高さは下の試乗動画でより詳しく説明されているので確認してもらいたい。
スズキ セニアカー 公式サイト
https://www.suzuki.co.jp/welfare/products/et4d/
人の暮らしを支え続けるモビリティ

セニアカーは単なる移動手段を超えた存在なのかもしれない。「自分の力で出かけたい」「住み慣れた地域で暮らし続けたい」というユーザーの思いを支える福祉モビリティとして、高齢化が進む日本社会とともに進化しながら歩んできた。1973年に始まった電動車いすの開発から半世紀以上が経ち、2025年には累計販売台数が32万台を超えたとされる。社会に根差して多くのユーザーの自由な移動をサポートしてきたことがわかる。利用者の声を取り入れながら改良を重ね、安全性や使いやすさを追求し続けてきた開発姿勢は、これからも人々の暮らしを支える福祉モビリティとしてしっかりと受け継がれていくことだろう。















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