国民栄誉賞に輝いた車いすテニスの鉄人 Believerとは? 福祉分野を中心に活躍する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。今回は、ホンダ本社ショールームで開催された福祉車両企画展示「Honda ハート Joy for Everyone」のトークショーに出演されたときの国枝慎吾さんを、特別編としてお届けしたい。 文と写真●Believe Japan 協力●ホンダ 9歳のときに脊髄腫瘍を発症。その後、車いすテニスと出会い、並外れた才能と人一倍の努力によって国内外で圧倒的な強さと前人未到の記録を築き上げてきた国枝慎吾氏。同じ年にすべてのメジャーオープンで優勝する年間グランドスラムを5度達成し、パラリンピックで4個の金メダルを獲得。また、シングルスで107連勝という大記録を打ち立てるなど、高い技術と不屈の精神力で、文字どおり世界最強のプレイヤーとして君臨した。そして2023年1月、世界ランキング1位のまま長い競技生活に終止符を打つ。国枝氏は競技にかけてきた自身の思いや、自分を支えてきた言葉、そしてクルマとの関係について語った。この出演の後日、「パラスポーツの社会的認知度の拡大、スポーツの発展に極めて顕著な貢献をし、広く国民に夢や感動を、社会に明るい希望や勇気を与えた」として、国民栄誉賞の授与が決まる。 国枝さんの活躍によって、車いすテニスをはじめパラスポーツの認知度が大きく高まりました。車いすテニスとの出会いはどのようなものでしたか? テニスとの出会いは家の近くにあるテニスクラブで、10歳くらいのときに初めてテニスラケットを握ったときのことは今でも鮮明に覚えています。でもそのときはまさか活躍して皆さんの前でお話をするようなプレイヤーになれるなどとは思いませんでした。僕自身は 小さい時から活動的で、車いすに乗る前はずっと野球をやっていました。また漫画のスラムダンクが大好き。とくに登場人物の三井くんが好きでして(笑)、バスケットボールをしたかったですね。でもテニスが好きな母の勧めで近くのクラブに行くことになりました。民間のクラブでしたが、その当時から車いすテニスをやっていたのには驚きました。当時はテニスはといえば伊達公子選手が活躍されていて、自分にとっては女性のスポーツというイメージがありました。 正直あまり乗り気ではなかったのですが、実際にプレイを目にすると、車いすテニスがこんなに激しい競技だとは思いもしませんでした。そして、そこで車いすの人とも人生で初めて出会いました。テニスをプレイすることもそうですが、何より衝撃だったのは、「車いすに乗ってもこういった運動ができ、またひとりで生活をして、クルマを運転してテニスクラブに通うことだって可能である」というのを目の当たりにしたことです。そこで出会った人たちは、自力で車いすから降りて、それをクルマに乗せて運転し、また下ろして、とすべて自分でされていました。それを見て「車いすでもひとりで生きていけるではないか」と強く思い、大きく励まされました。 今になって思うと、それは自分にとって、テニス以上に大切な学びであったのかもしれません。 長年にわたり、世界のトップで活躍されましたが、ご自身を支えられてきたものとは何だったのでしょうか? 自分は普通の車いすに乗っても、活発に動きまわっていたので、競技用の車いすを初めて使ってもすぐに上手に動けました。しかしラケットの扱いにはなかなか慣れず、 最初はホームランのような球ばかり打っていました。しかし、日々着実に進化していくプレーを自ら感じて、どんどんおもしろくなっていきました。それを日々続けてトップにたどり着くのですが、もはやだれの背中を追いかけることがなくなってからも、「自身がどれだけ上達し進化していけるのか」ということに、現役の最後まで楽しみを見出すことができました。自分自身でモチベーションを高め、努力していきました。それこそがスポーツの素晴らしさであると思います。 プロ選手になることを意識されたのはいつでしたか? 高校生になるとクラブの理事長から「一度、海外に行ってみてはどうか」と言われました。その当時は国内に自分よりも強い人がたくさんいたので、あまり乗り気ではありませんでしたがとにかく行ってみました。... ...
On 2023年3月17日 / By wpmaster文●Believe Japan 写真●Believe Japan 、マツダ E&T 2022/5/25(水)配信 4月29日、広島に本社のある「マツダE&T」にて、「スロープ式車いす移動車累計生産台数6万台記念式典」が開催された。「マツダE&T」は、マツダグループでエンジニアリング事業(量産車開発、派生車開発)やカスタマイズ事業(福祉車両、教習車等の特装車両)などを手がける総合エンジニアリング会社で、先般ビリーヴ・チャンネルでもご紹介した「MX-30 SeDV(セルフエンパワーメント・ドライビング・ビークル)」の開発も担当している。 式典は、代表取締役社長の野間幸治さんの挨拶から始まり、製造技術部の岸本勇次さん、ボデー・シャシー設計部 主幹の大塚孝江さん、PT性能・制御システム開発部の大上真弘さん、取締役常務執行役員の萩原國昭さんと続き、同時に全スタッフへ配信されるという形態だったが、記念すべきスロープ式車いす移動車の第1号車である「キャロルi」も展示され、会場に華を添えていた。 この日のためにフルレストアされたという「キャロルi」。その誕生は、なんと1995年というから驚くばかり。いまから27年も前に、いかにしてこのクルマが誕生したのか。また、6万台ものスロープ式車いす移動車を生産し続けている背景とはいかに? 今回特別に、特装車開発リーダーの経験をお持ちの「マツダ E&T」企画管理本部の方々に話を伺った。 マツダE&Tが福祉車両を手がけることになった背景を教えてください。 村田さん 「キャロルi」が登場した1995年というのは、いわゆるバブル崩壊後。そのころ多くの会社がそうであったように、我々もより会社を強くするための新規事業を模索していました。そこで、社内公募を行い、当時の役員が満場一致でOKを出したのが、この「キャロルi」でした。 米田さん この提案は介護ヘルパーをする母親を持つ社員からでした。ご存知のように、車いすでの移動はさまざまな制約があります。「少しでも母の負担を軽くできれば」との思いがこの提案に結びつきました。 軽自動車である「キャロルi」が選ばれた理由とは? 小泉さん 当時車いすを載せることができるのは、大きな病院や企業が所有するバンやバス的なものが主だったものでした。それらを個人が所有するのはハードルが高い。それに家庭内で介護される方に女性が多かったこともあり、日本の道路事情から取りまわし性に優れ、価格も安く抑えられる軽自動車に着目したというわけです。 「キャロルi」制作にあたり、苦労されたところはありますか? 米田さん 前例がないチャレンジだったので、苦労といえばすべて苦労でした(笑)。まずは車いす乗員スペースの創出。乗車位置を決め込んでから、フロア、ルーフの改造、燃料タンクの新設・移設、リヤサスの改造など多岐にわたります。とくにルーフ部分はFRPで仕上がっているのですが、当時この大きさのものを型取りして仕上げることが難しく、本当に苦労しました。 レストアされた車両をじっくりチェックさせてもらったが、その完成度の高さにちょっと驚いてしまった。車いすは専用のものが使用されているが、まずリヤゲート展開時の角度が浅いため、車いすを載せる際の介助側の負担が少ない。そして、車いすはストレスなく車両にワンタッチで固定できるではないか! さらに、車いすに乗ったまま乗車してみると、乗車後の頭上スペースや視界、そして手すりの位置など、居心地のいい空間が実現されているのだ。これを企画立案から販売まで。わずか1年で実現したというのだから凄い。 「キャロルi」以降に手がけた福祉車両、また開発時に注力している点を教えてください。 村田さん 車いす移動車は、「キャロル」、「フレアワゴン」、「デミオ」、「プレマシー」等。回転シート車は、「デミオ」、「プレマシー」等。リフトアップシート車は、「MPV」、「ビアンテ」、「CX-5」等。運転補助装置搭載車は、「ロードスター」、「アクセラ」、「MX-30」をそれぞれ手掛けてまいりました。... ...
On 2022年5月25日 / By wpmaster「言葉を交わす」ことだけがコミュニケーションではないと信じています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●Believe Japan 写真●Believe Japan、HandmadeCreative コミュニケーションとしてのアート表現や、手話をテーマにした創作活動を国内外で行う門 秀彦(かど ひでひこ) さん。「ハンドトーク(HAND TALK)」をコンセプトに、「絵描き」として絵画作品や絵本を制作するほか、ミュージシャンとのライブペインティングや巨大なキャンバスにみんなで一緒に絵を描く「らくがきワークショップ」などを精力的に行う氏に、自身の活動についての想いを語っていただいた。 イラスト、グラフィックデザイン、ライブペインティングと多彩にご活躍されていますが、門さんが絵を描きはじめたきっかけは何だったのでしょうか? 僕は両親とも耳が不自由でしたので、コミュニケーションの手段として、幼い頃から手話をフォローするように「絵」を描いてきました。ビジュアルの方が手っ取り早かったり、描かないとどうしても伝えられないことがあったので、筆談のように絵を描いては見せていたんですね。その日学校であった出来事などを描くのですが、両親はいつも、僕が描き終わるのを静かに待っていてくれました。おかげで僕にとっては、「絵を描く」ということが、自分の「想い」をほかのひとに伝える手段として自然なものとなっていったのです。 よく小学校の図画工作の授業で、時間の都合で「今日はここまで、続きは次回に」となるのですが、普段から絵を描くことに慣れていた僕にはそれがまどろっこしくて、いつも最初の時間に2つほど描き上げていました。それでホッとして休んでいると、先生からよく注意され、成績はよくありませんでした(笑)。ですが、展覧会などでは賞をもらったりしていました。 作品では、絵の中に「手話」が描かれていますが、それはいつ頃からでしょうか? 僕が20歳のとき、長崎の目抜き通りにある店舗で改築工事が行われることになりました。そして、工事期間中、あまりに殺風景で街の美観を損ねるという理由から、壁一面に絵を描こうということになりました。最初、知り合いが依頼されたのですが都合がつかず、僕が紹介されました。... ...
On 2018年3月15日 / By wpmaster脳にはそのひとの人生が詰まっています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文と写真●Believe Japan 東京慈恵会医科大学附属第三病院リハビリテーション科の渡邉 修先生は、脳に障害を受けてしまった方が運転を再開することを助ける「自動車運転外来」を行なっている。外傷や腫瘍等が原因で脳の機能を一部失った方が、再度運転できるかどうかの判断をしたり、リハビリテーションをとおしての機能回復に取り組んでいる。渡邉先生に、活動に対する思いを聞いた。 リハビリテーションの研究に携わることになったきっかけを教えていただけますか? 最初、私は脳失血や脳出血、脳外傷などの患者さんを診る脳神経外科医でした。交通事故などで意識を失った状態で病院に運ばれてきた患者さんの場合は、手術をしたり、急性期(損傷が起きたばかり)の低体温療法などで治療をすると、たしかに命は助かり、身体的にも回復していきます。しかし、脳は非常にデリケートな組織なので、脳挫傷や脳出血が生じると、どうしても傷が残ります。うずらの卵ほどの小さな傷ですと、回復の後、支障なく日常生活が送れるのですが、にわとりの卵ほどの損傷となりますと、ほとんどの場合、後遺症が出てしまいます。すると、その方は、「命は助かったけれど、社会に戻っていけるのか……」ということが問題となってきます。なんとか「救命」されても、「救脳」はされないということです。そうなると、患者さんだけでなく、家族の方も社会的に孤立していってしまいます。「ウチの息子を置いて先には死ねない」という親御さんにもたくさん出会ってきました。それは、もはや脳外科医に対応できることではありませんでした。 私が脳神経外科医だったころは、「高次脳機能」いわゆる認知能力のダメージについては、「それでおしまい、するべきことは無い」という風潮でした。医師も、患者さんや家族の方に「これで諦めてください」と伝えるしかありませんでした。それは、「命が助かっただけよかったじゃないですか」とも聞こえました。それでは患者さんとご家族は、社会から疎外されたままなのです。わたしはその現実に疑問を感じました。そして、患者さんが社会復帰、社会参加していけるようにするためのリハビリテーションに関心が向いていきました。ありがたいことに、そんな私を支援してくださる先生方がおりました。当時、私は浜松の病院にいたのですが、東京の慈恵医科大や研究会によく連れて行っていただきました。それが、リハビリ研究のスタートでした。 スウェーデンの病院で研究されておりましたが、北欧と日本とで、リハビリテーションに関する考え方の違いはあるのでしょうか? リハビリテーションを学ぶため、ストックホルムのカロリンスカ病院というところに勤務していたのですが、そこで印象的だったのは、いわゆる「患者さんファースト」という考え方ですね。日本でも最近は一般的になってきましたが、「患者の権利」と書かれたパンフレットが院内で最初に渡されるなど、とても新鮮な驚きでした。治療の意思決定なども、すべて患者さん中心で行われていました。また、当時のカロリンスカ病院では、患者さんが30分以上待たされると診察費が無料になるというルールがありまして、待合室で長く待たされるということはほとんどありませんでした。スウェーデンは人口が少ないこともありますが、病気や身体の不具合を抱えていらっしゃる方を待たせるということは、考えられない文化だったのですね。 また、私が参加していた脳疾患患者の家族会があるのですが、ご家族の方たちも、さまざまな意思決定は「患者本人を中心にすすめていきたい」という意見がほとんどでした。さらに、国が支援している大企業では、それぞれの状態に合わせた仕事が用意されていました。「計算は苦手だが絵を描くことはできる」など、自分の障害に合わせた仕事によって収入を得るという考えが国全体で共有されているのです。自立や社会復帰などが重要視されているのですが、これは患者さん個人やご家族の幸福にもつながると思います。それこそが本当の意味での「患者中心の医療」なのだと深く思わされました。 また、当時、私の息子が日曜日に小児の感染症である猩紅熱(しょうこうねつ)にかかってしまい、病院に連れて行ったのですが、医師が診察室を出て、廊下で待つわれわれのところまで歩いてきて、握手をしながら「わたしがお子さんを拝見させてもらいます」と挨拶をしたのでした。そこである種、患者さんと医師の間に「契約」が成立して「治療」がはじまるという流れでした。それは本当は当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私は大きな衝撃を受けました。以来、日本に戻ってきてからも、自分で立ち上がって患者さんにご挨拶に行き、診察室に招き迎えるということを行わせていただいています。おかげで、とてもよいことがあります。招きいれるということで、そのときの患者さんの歩行状況をつぶさに見ることができるのです。カルテに目をやりながら「どうぞ」というのとは違って、私の診察はすでにはじまっているのです。... ...
On 2017年10月25日 / By wpmaster想像を超えたパラスポーツの魅力に触れてほしい Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●久保加緒里 写真●Believe Japan 2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックが大いに盛り上がり、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会に向けて日本でも注目度が高まっている「パラスポーツ」。その魅力は、活き活きとチャレンジを続けるアスリートたちの姿にある。 2011年に日本障がい者スポーツ協会の理事に就任して以来、パラスポーツに深く関わってきた山脇 康さんに、その魅力についてお話をうかがった。 人間の持つ可能性の大きさを パラアスリートが教えてくれた パラリンピックをはじめとするパラスポーツの大会に自ら足を運び、さまざまな競技を観てきた山脇さんは言う。「パラスポーツは知れば知るほどおもしろいんです。福祉や障がいという視点ではなく、純粋にスポーツとして楽しめるんです。ひとりでも多くの人に、是非とも競技を観て、知って、アスリートたちを応援していただきたいと思っています」。 現在ではパラスポーツ界を牽引し、広める立場の山脇さんだが、6年前までパラスポーツとはまったく無縁だったという。仕事上でもプライベートでも懇意にしている東京ガスの会長(当時)の鳥原光憲さんが日本障がい者スポーツ協会の会長に就任した際、「ちょっと手伝ってくれないか」と声をかけられ、ビジネスで培ってきたことをパラスポーツ界の運営に活かせるかもしれないと思って理事の仕事を引き受けたのだ。 「まずは競技のことを知らなければいけない」と考えた山脇さんは、2012年3月に長野県の白馬村で開催されたアルペンスキーとクロスカントリーのジャパンパラ大会を観戦した。はじめて競技を観た瞬間の衝撃はいまも鮮明に覚えている。理屈抜きで「すごい!」と感じたという。 「人間の持つ可能性の大きさ、潜在能力のすごさを見せつけられた気がしました。オリンピックの選手ももちろんすばらしいのですけれど、彼らはまるで別の惑星から来たかのような“超人的”なところがありますよね。パラスポーツの選手は先天的か後天的かのちがいはあっても、みんな何らかの障がいがあるなかで、残された機能を磨きあげ、多くの人が持っている能力を最大限に高めたら、こんなことまでできるようになる、ということを体現しているわけです。本当に驚いたし、大いに刺激を受けました」。 ビジネスの世界で数多くの修羅場を経験してきた彼だが、そんな自負も軽く吹き飛んでしまった。 「パラスポーツでトップアスリートになる人たちは、みなさん例外なくポジティブです。残された機能の何%を活用しているかという観点で見ても、私など到底及ばないと思います。学ぶべきことは非常に多いです」と山脇さんは言う。人間はだれしも、望むと望まざるとに関わらず人生の岐路に立たされることがある。パラアスリートは、自分の障がいや起こってしまったことも受け容れて、前向きにできることをやっていく。頭でわかっていてもなかなか実践できないことをやり遂げているからこそ、だれもがパラアスリートたちの活躍に励まされたり、背中を押されたりするのだろう。 パラスポーツによる意識変革が 「共生社会」の入口に... ...
On 2017年2月13日 / By wpmaster前回の動画に続いて、色覚異常の方の色認識をアシストするアイウエアメーカー、EnChromaへのインタビューをお送りします。 マーケティングディレクターKent Scrubb氏が、色を認識する錐体(すいたい)細胞について語ります。 関連動画 [1.EnChroma-色の認識をアシストするアイウェア] [2.EnChroma インタビュー(1)] ...
On 2017年1月25日 / By wpmasterEnChroma。特定の色が判別しづらい色弱の方の色認識を、特殊な素材のレンズでアシストするメガネとサングラスを生産するメーカー。 この製品を初めて使った人が感動で涙するシーンのビデオが話題になっています。 本当に色が変わって見えるのか?自動車を運転するときに使用する際のメリットは? 米国北カリフォルニア バークレー本社のマーケティングディレクター、Kent Streeb氏にSkypeで直接インタビューしてみました。 「EnChroma インタビュー (1 ) 製品を初めて試した時のリアクション」 関連動画 [2.EnChroma インタビュー(2)] ...
On 2017年1月16日 / By wpmasterBelieverとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●Believe Japan トヨタ ポルテ/スペイド トヨタ 中川 氏の取材で、「チルト式回転シート」の例として紹介されたトヨタ「ポルテ」だが、ここでは兄弟車の「スペイド」とともに、その福祉車両としての魅力、リリースされている福祉車両のタイプを紹介する。 「ポルテ」 「スペイド」 全長およそ4mに収まるコンパクトなボディに、大きな助手席スライドドアを採用したのがポルテとスペイド。両者は内外装が異なる兄弟モデルで、ファミリー層に向けた優しいデザインのポルテに対し、スペイドはクールなスタイルが特徴となっている。どちらのモデルも室内は広々していて、とくに低いフロア高と前後に70cmスライドする助手席シートを採用するなど、幅広いユーザーが「これは乗りやすい!」と実感できる設計がなされている。エンジンは経済性に優れた1.3Lと1.5Lの2タイプを設定。アイドリングストップを設定するなど、標準車で最高22.2km/Lを誇る燃費性能も自慢だ。 福祉車両としては、助手席回転チルトシート」や助手席リフトアップシート車、サイドアクセス車の3タイプがあり、それぞれ標準の「Aタイプ」に加え、車いす収納装置を備えた「Bタイプ」の2仕様が用意されている。 「助手席回転チルトシート車」は、座面と背もたれがチルトアップするタイプの福祉車両。手動式のためスピーディな操作ができるうえ、車外へのシート振り出し量が少ないのがポイントで、狭い場所での乗り降りがしやすくなっている。 「助手席リフトアップシート車」は、電動で助手席が回転し、車外へスライドダウンするタイプの福祉車両。リモコンでシートの上昇、下降操作が可能で、背もたれ角度の調整からシートの下降まで全自動で行ってくれる。 「サイドアクセス車」は、ポルテ/スペイドの広い室内を存分に活かした福祉車両のひとつで、クルマの乗降の際、専用の車いすに座ったまま車内に乗り込めるのが特徴。脱着式の助手席型車いす(手動式と電動式を選択可能)が備えられたタイプのほか、専用車いすを固定して乗り込むタイプ、助手席型と専用車いすを共に装備したタイプを設定する。 【価格帯】 「助手席回転チルトシート車」 助手席回転チルトシート車 Aタイプ:195万480円~211万320円... ...
On 2016年12月21日 / By wpmasterBelieverとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●Believe Japan 福祉車両のための車いす 「これはウェルキャブ専用に開発した車いす、ウェルチェアです」。 次に中川 氏が説明してくれたのは、トヨタが自動車乗車専用に開発した車いす、ウェルチェア。 一般的に車いすに乗ったまま福祉車両に乗車すると、次のような点に悩まされることがある。 目線が上がってしまい、外が見えづらくなる。車内から近くの景色しか見られなくなる。同乗者とのコミュニケーションも取りづらい。 座面が地面と水平なため、ブレーキがかかると前にずれて出てしまう。それを筋力で抑えるため、体に負担がかかる。 左右のサポートが弱いため、左右の揺れに弱い。 衝突時の強度に対する不安がある。 もともと車いすは、自動車に載せてその上に乗客が座って移動することを想定して作られていない。だからクルマに乗せればこのような問題が起こっても当然といえば当然のこと。でも、それならば一から自動車メーカーが作ってしまえというのがウェルチェアの考え方だ。 まず、車いすに座り駐車ブレーキをかけた状態で、介助する人が背部にあるチルトレバーを押し下げる。するとお尻の部分がぐっと下がり、リクライニングさせた状態になる。通常の背面だけのリクライニングと違うのは、膝部分はそのまま残るので、腰とお尻だけが下がった状態になることだ。結果、体重が背中と腰に分散される。チルトダウンされるのは、約10cm。シート全体は約15度傾く。 10cm頭上スペースに余裕ができるので、車いすに乗ったままの状態でのクルマへの乗降が楽になる。シートベルトの装着も考えられた作りになっているので、横からスポークやフレームを通してシートベルトを取り回す必要がなく、装着が短時間でできる。スポークの間にシートベルトを通すのは、急いでいるときには案外苦労するものだ。シートベルトのねじれ等も生じないため、しっかりとしたシートベルトの固定が可能。 こちらの動画にも紹介されているように、このチルトダウンを行うと、目線を車内のほかの乗客とほぼ同じ高さまで下げることができる。同時に、前後の動きに対して背面と座面の摩擦力がかかるため、筋力をそれほど使わなくても運転者のブレーキ操作に自然に対応ができる。 乗ってチルトダウンさせてみると、車内が広く感じて、たしかに遠くの景色まで見えるようになった。走行中の上半身の揺れが軽減され、座り心地も上々。これなら長距離のドライブにも対応できるように思えた。 「ブレーキをかけた状態で左右に曲がる動きをすると、一番安定度の違いがわかるのですよ。実際の交通の中で、交差点で右左折するような状況ですね」。中川 氏がステアリングを自分で握り、けっこう強めなデモンストレーションをしてくれた。たしかに揺れが少ない。座面が水平な通常の車いすでは、大きく左右に揺られるはずの場面だ。チルトされている状態だと重心が下がり、上半身の揺れが少なくなっているのが実感できる。何より無理な筋力で体を支える必要がないため、体への負担が少ない。これは快適だ。... ...
On 2016年12月10日 / By wpmaster文●中村孝則(コラムニスト) 写真●Innovation Norway コラムニストとして、ライフスタイルをテーマに、20年近く海外に出向き取材を続けています。なかでも、ノルウェーという国は取材対象のひとつとして、幾度も取材を重ね数多くのメディアで発信してきました。親しい知人たちがノルウェー関連の仕事に携わっていた幸運も重なり、そうしたご縁がつながって、2010年10月にノルウェー王国大使館通商技術部より、「Hr.StyleNorway(ヘル・スタイルノルウェー)」の称号を与えられました。これは、ノルウェーの魅力を伝える親善大使のような役割で、2015年の9月までの5年の任期中には、より深く同国を取材する機会を得ました。ちなみに、この称号及び任務は、私が最初で最後ということで、特別な経験となっています。 さて、ノルウェーは北欧ということもあり、日本ではいまひとつ馴染みの薄い国でもあります。しかし、両国には共通点も多く、未来に向けた国家戦略において日本がノルウェーに見習うところは随所にあると、折にふれて訴え続けてきました。とくにその福祉政策はユニークで示唆に富んでいます。 ノルウェーの社会福祉は、教育や医療、障害者や子育てなどにおいて手厚いことは知られていますが、その本質やそのほかの独創的で実験的な福祉については、日本ではまだ報道や研究が少ないのが実情です。たとえば、ノルウェーで推進しているダイバーシティ政策について。1988年に女性の社会参画を促すべく男女平等法が改定され、世界に先駆けて「クオータ制」が法的に定められました。これは、「公的委員会・審議会は4名以上で構成される場合、一方の性が全体の40%を下ってはならない」というもので、2004年から政府系企業の取締役会、2008年からは一般企業の取締役会でも罰則規定が設けられるという徹底ぶりです。 ノルウェーでは同時に、男性の育児休暇の義務化と、保育園の完全入園の実現にも積極的に取り組んでいます。女性の社会参画は、女性だけの問題ではありません。少子化対策や児童福祉、あるいは男性の労働環境と意識改革の問題と密接につながっています。 ノルウェーでは、1990年代の初頭から、こうした諸問題に対して組織の垣根を越えて、包括的に取り組んでいます。この例をひとつ取ってもわかりやすいのですが、ノルウェーのイノベーションの特徴は、ひとつの課題に対して「横軸」で連携できることです。これは「縦割り」の行政システムを持つ日本が、ノルウェーから学ぶべき最も大きな課題でしょう。たとえば、クオータ制については、日本では議論がはじまったばかりですが、これを単体で論じても、最終的な問題解決にはならないのは自明です。むしろ男性の働き方や家族との過ごし方が鍵になってきます。「女性の社会参画問題は、裏を返せば男性の家庭参画問題」でもあるわけです。その意味で、日本でこの課題を研究するならば、ノルウェーの男性の意識調査をするべきだ、というのが私の持論でもあります。過去に多くのノルウェー男性に、この問題を投げかけてきましたが、彼らの本音は、けっこう正直で面白いものです。まあ、その話は次の機会に譲るとして、今回はノルウェーが取り組む高齢化社会に対する新たな取り組みについてお伝えしたいと思います。 ノルウェーも、先進国の御多分に漏れず、高齢化が社会問題になりつつあります。そしてこの国は、高齢化対策の分野でも世界をリードしているのです。「グローバル エイジ ウオッチ指数」というのをご存知でしょうか?「グローバル エイジ ウォッチ指数」は、高齢者のための人権擁護団体「ヘルプ・エイジ・インターナショナル」が毎年発表する高齢者のランキングです。高齢者の収入や健康、雇用や教育など、高齢者の「生活の質」を独自の指数を用いて、国別で比較するというものです。言ってみれば「高齢者の住みやすい国」ランキングです。毎年、国連総会において世界高齢者デーに定められた10月1日に発表されるのですが、その2016年の最新ランキングで、ノルウェーが第1位になりました。今年度は、調査対象となった96カ国のうちノルウェーがランキング第1位で、2位がスウェーデン、スイス、カナダ、ドイツと続きます。ちなみにオフィシャルサイトはまだ更新されていませんが、日本は昨年の2015年のランキングでは8位でした。 参照元:Global AgeWatch Index 2015 公式(外部サイト) ノルウェーでは、この分野でも以前から社会的な取り組みがなされ、その努力がランキングに結びついたと言ってもいいでしょう。そして先ごろ、ノルウェー政府は、世界に先駆けて高齢化社会に向けた新たな戦略を発表し、それが話題になっています。この政策のねらいについて、ノルウェーのホイエ保健・ケアサービス大臣は「年齢を重ねることに関するネガティブな側面にとらわれることなく、何よりもポジティブな可能性に注目する。必要となるのは高齢者のアクティブな生活を促進し支える施策です」と、発言しています。またハイバルグ前副大臣は「シニア層の多くは職場や社会、政治の世界に疎外感を感じていますが、その偏見を取り払い、高齢者にやさしい社会をつくります」と語っています。ちなみに、ハイバルグ前副大臣は2015年の夏に来日し、日本における高齢化社会の現状と取り組みを視察しています。その戦略の詳細がweb上で発表されていますので、注目すべき点を補足いたします。 「More Years – More... ...
On 2016年12月9日 / By wpmaster© 2016-2020 Believe Japan, Inc. All rights reserved.