文と写真●Believe Japan 2024/7/16(火)配信 介助する側、介助される側、双方の立場になってビリーヴカー(福祉車両)をインプレッション! レポートするのは、介護経験があり自身も福祉車輌取扱士の資格を持つタレント・モータージャーナリスト 竹岡 圭。今回はスズキ コンセプトモデル「SUZUKI GO!」についてスズキ株式会社の担当者にいろいろ伺いました。その模様をお届けします。 ...
On 2024年7月16日 / By wpmaster文と写真●Believe Japan 2023/5/15(月)配信 すべての人に自由なモビリティを目指し、製品や技術を紹介するBelieveが注目する福祉車両。前回に引き続きトヨタの人気ミニバンの中から、今回は「ノア」の車いす仕様車に注目し、責任者である野首福利(のくび ふくとし)氏に、開発に込めた想いを聞いた。 広い室内空間とスムーズな乗降を実現! トヨタの「ノア」は、あらゆるシチュエーションに対応する頼もしいミニバン。ラインアップはタイプI「車いす1名仕様(セカンド席)」とタイプI「車いす2名仕様(セカンド席とサード席)」、そしてタイプII「車いす1名仕様(サード席)」があり、タイプIIには標準車と同じシートレイアウトの「サードシート付」仕様が選べる。さらに、このタイプII「サードシート付」仕様には、助手席リフトアップチルトシートを標準装備したタイプも設定されている。撮影車はタイプIの「車いす1名仕様(セカンド席)」仕様だ。 新型モデルは、車いすの乗車から固定までの操作を大幅に簡単にして、操作の時間を半減させている。たとえば、これまで車内のスイッチ操作でリヤの車高を上下させていたが、バックドアの開閉と連動して自動的に車高が上下。後退防止のセーフティモードへの切り替えも自動化され、乗車した車いすのベルトのたるみ取りも必要なくなった。 大きなゆとりに加え、使い勝手が劇的に進化したことで、ノアの快適さはいっそう増している。 バックドアを上げると車高が自動に下がり、簡単に引き出せる手動スロープは角度9.5°と非常になだらか。車いすの乗車から固定まで、一連の動作がとてもシンプルになっている。 室内スペースにゆとりがあるノアは、リクライニング機構が付いた車いすや電動車いす、さらにシニアカーにも対応する(スロープ耐荷重200kg)。「タイプI」はストレッチャーでの乗車も可能。 荷物の取り出しで邪魔となる収納時の「立ったままのスロープ」が、車内に倒れてフラットなフロアとなる「前倒れ機能」も旧型同様に採用されている。 車いすユーザーがコミュニケーションを取りやすい「タイプI」、セカンドシートが標準車同様に使用できる「タイプII」など、使い方に合わせてさまざまなバリエーションが用意される。 関連記事:フルモデルチェンジで乗降操作が簡単に! 大幅進化した新型トヨタ ノア/ヴォクシーの車いす仕様車 新型を開発するにあたり、とくに注力したことを教えてください。 今回ノアの福祉車両について調査をした結果、老老介護をしている女性の方が非常に多いことがわかりました。 そして、旧型ではありますが、問題点などを尋ねると、多かった回答のひとつは「価格が高い」ことと、もうひとつは「操作が難しそうで不安」ということでした。新型の開発にあたって、この2点については確実に改善しなければならないという意識で臨みました。まず価格設定を低めに改めました。ベース車と変わらない感覚で購入できることを目指し、旧型では35万円ほど高くなったものを、グレードによっては10万円アップ位にまで近づけました。そして操作についてですが、おおまかに言えば、操作手順は8回から3回に減り、乗り込むのに必要な時間も120秒から60秒へと半減しています。迷うことなく自然に操作できる、とにかく覚えることが少なくて済むように配慮しました。 機能以外で変わったところはありますか? 旧型との大きな違いでは、新型では新たにハイブリッドを設定しています。これもあくまで普通のクルマであることの証ですが、新型では型式認証を取ることで通常のラインアップとなっています。それにより今までカタログを見たときに、「改造されたクルマ」との印象がありましたが、新型では通常のカタログモデルであることを認識してもらい、福祉車両への心理的なハードルをまたひとつ取り除くことができたと思っています。... ...
On 2023年5月15日 / By wpmaster文と写真●Believe Japan 2023/5/12(金)配信 超高齢化社会に突入して久しい日本では、近年、在宅介護が推奨されている。そして、そうしたなか、 自宅からデイケア施設や医療機関へ通う高齢者が増え、 福祉車両の使用頻度は、これまでになく高まっている。 「すべての人に自由なモビリティ」を紹介するBelieveが今回注目するのは、トヨタの新型シエンタ「ショートスロープ仕様」。開発責任者である稲熊幸雄(いなぐまゆきお)氏に、そのこだわりのポイントを聞いた。 ショートスロープで、乗り入れ動作をシンプルに! 両側スライドドアに広々とした室内、低床設計でアクセスが良好なトヨタシエンタは、2022年8月にフルモデルチェンジして3代目となった。ビリーヴカー(福祉車両)は3タイプあるが、もっとも注目したいのがタイプIIIの「ショートスロープ仕様」。バックドアを開けると同時に車高が降下し、リヤバンパーと一体型のショートスロープが展開。リアエンドからスロープが突出する長さはわずか17cmで、省スペース&短時間での乗降を可能とする。 バックドアを開けると自動的に車高が下がる。そして、ショートスロープが展開。 車いすの前輪をショートスロープに乗せ、後輪をスロープに押し当てながら車内へと進む。 車いすの前後左右にフックをかけて固定スイッチを押す。あとはハンドルを引いてショートスロープを収納、バックドアを閉めれば自動的に車高が戻る。 関連記事:難点だった乗り込み時間を大幅に短縮! 新型シエンタの「ショートスロープ」がすごい シエンタ福祉車両開発時のこだわりを教えてください 現在、福祉車両のシェアはトヨタが日本国内の約7割を占めています(除:軽自動車)。そのため、我々には「スタンダードを作っている」という自負があります。 「トヨタでしかできない福祉車両の在り方とは何か」をつねに意識し、介護施設などでお客様のご使用になっている様子から本当の困り事はなにか見極め、自分たち自身で仮説を立て検証して開発しています。また、標準車との同期開発やインライン生産対応などのコスト低減も積極的に実施しています。 今回の新型シエンタ タイプIII「ショートスロープ仕様」で改善したのは、以下の3つの点です。 まずひとつ目は「車いすにお乗りの方の孤立を防ぐ」ことです。 たとえば病院のエントランス。迎えにきたドライバーがクルマを離れ戻ってくると、別のクルマがすぐ後ろに停めてしまい、車いすで乗り込むことができないという事態があります。今までの福祉車両では、車両の後方に2.4メートルのスペースがないと乗り降りできませんでした(通常、停車している前のクルマとの間隔は、1.7メートルほど)。ところがこのショートスロープ版では1.3メートルあれば乗り降り可能ですから、クルマを移動させなくてもよくなります。これまで車いすユーザーの方は、ドライバーがクルマを移動させて戻ってくるまでの間、そこに一人で待たなければなりませんでした。認知症の方がブレーキを外して、後ろのクルマにぶつかったり、どこかに移動してしまうなどのトラブルも報告されています。そのような事態を改善したいと考えました。... ...
On 2023年5月12日 / By wpmaster国民栄誉賞に輝いた車いすテニスの鉄人 Believerとは? 福祉分野を中心に活躍する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。今回は、ホンダ本社ショールームで開催された福祉車両企画展示「Honda ハート Joy for Everyone」のトークショーに出演されたときの国枝慎吾さんを、特別編としてお届けしたい。 文と写真●Believe Japan 協力●ホンダ 9歳のときに脊髄腫瘍を発症。その後、車いすテニスと出会い、並外れた才能と人一倍の努力によって国内外で圧倒的な強さと前人未到の記録を築き上げてきた国枝慎吾氏。同じ年にすべてのメジャーオープンで優勝する年間グランドスラムを5度達成し、パラリンピックで4個の金メダルを獲得。また、シングルスで107連勝という大記録を打ち立てるなど、高い技術と不屈の精神力で、文字どおり世界最強のプレイヤーとして君臨した。そして2023年1月、世界ランキング1位のまま長い競技生活に終止符を打つ。国枝氏は競技にかけてきた自身の思いや、自分を支えてきた言葉、そしてクルマとの関係について語った。この出演の後日、「パラスポーツの社会的認知度の拡大、スポーツの発展に極めて顕著な貢献をし、広く国民に夢や感動を、社会に明るい希望や勇気を与えた」として、国民栄誉賞の授与が決まる。 国枝さんの活躍によって、車いすテニスをはじめパラスポーツの認知度が大きく高まりました。車いすテニスとの出会いはどのようなものでしたか? テニスとの出会いは家の近くにあるテニスクラブで、10歳くらいのときに初めてテニスラケットを握ったときのことは今でも鮮明に覚えています。でもそのときはまさか活躍して皆さんの前でお話をするようなプレイヤーになれるなどとは思いませんでした。僕自身は 小さい時から活動的で、車いすに乗る前はずっと野球をやっていました。また漫画のスラムダンクが大好き。とくに登場人物の三井くんが好きでして(笑)、バスケットボールをしたかったですね。でもテニスが好きな母の勧めで近くのクラブに行くことになりました。民間のクラブでしたが、その当時から車いすテニスをやっていたのには驚きました。当時はテニスはといえば伊達公子選手が活躍されていて、自分にとっては女性のスポーツというイメージがありました。 正直あまり乗り気ではなかったのですが、実際にプレイを目にすると、車いすテニスがこんなに激しい競技だとは思いもしませんでした。そして、そこで車いすの人とも人生で初めて出会いました。テニスをプレイすることもそうですが、何より衝撃だったのは、「車いすに乗ってもこういった運動ができ、またひとりで生活をして、クルマを運転してテニスクラブに通うことだって可能である」というのを目の当たりにしたことです。そこで出会った人たちは、自力で車いすから降りて、それをクルマに乗せて運転し、また下ろして、とすべて自分でされていました。それを見て「車いすでもひとりで生きていけるではないか」と強く思い、大きく励まされました。 今になって思うと、それは自分にとって、テニス以上に大切な学びであったのかもしれません。 長年にわたり、世界のトップで活躍されましたが、ご自身を支えられてきたものとは何だったのでしょうか? 自分は普通の車いすに乗っても、活発に動きまわっていたので、競技用の車いすを初めて使ってもすぐに上手に動けました。しかしラケットの扱いにはなかなか慣れず、 最初はホームランのような球ばかり打っていました。しかし、日々着実に進化していくプレーを自ら感じて、どんどんおもしろくなっていきました。それを日々続けてトップにたどり着くのですが、もはやだれの背中を追いかけることがなくなってからも、「自身がどれだけ上達し進化していけるのか」ということに、現役の最後まで楽しみを見出すことができました。自分自身でモチベーションを高め、努力していきました。それこそがスポーツの素晴らしさであると思います。 プロ選手になることを意識されたのはいつでしたか? 高校生になるとクラブの理事長から「一度、海外に行ってみてはどうか」と言われました。その当時は国内に自分よりも強い人がたくさんいたので、あまり乗り気ではありませんでしたがとにかく行ってみました。... ...
On 2023年3月17日 / By wpmaster文●Believe Japan 写真●Believe Japan 、マツダ E&T 2022/5/25(水)配信 4月29日、広島に本社のある「マツダE&T」にて、「スロープ式車いす移動車累計生産台数6万台記念式典」が開催された。「マツダE&T」は、マツダグループでエンジニアリング事業(量産車開発、派生車開発)やカスタマイズ事業(福祉車両、教習車等の特装車両)などを手がける総合エンジニアリング会社で、先般ビリーヴ・チャンネルでもご紹介した「MX-30 SeDV(セルフエンパワーメント・ドライビング・ビークル)」の開発も担当している。 式典は、代表取締役社長の野間幸治さんの挨拶から始まり、製造技術部の岸本勇次さん、ボデー・シャシー設計部 主幹の大塚孝江さん、PT性能・制御システム開発部の大上真弘さん、取締役常務執行役員の萩原國昭さんと続き、同時に全スタッフへ配信されるという形態だったが、記念すべきスロープ式車いす移動車の第1号車である「キャロルi」も展示され、会場に華を添えていた。 この日のためにフルレストアされたという「キャロルi」。その誕生は、なんと1995年というから驚くばかり。いまから27年も前に、いかにしてこのクルマが誕生したのか。また、6万台ものスロープ式車いす移動車を生産し続けている背景とはいかに? 今回特別に、特装車開発リーダーの経験をお持ちの「マツダ E&T」企画管理本部の方々に話を伺った。 マツダE&Tが福祉車両を手がけることになった背景を教えてください。 村田さん 「キャロルi」が登場した1995年というのは、いわゆるバブル崩壊後。そのころ多くの会社がそうであったように、我々もより会社を強くするための新規事業を模索していました。そこで、社内公募を行い、当時の役員が満場一致でOKを出したのが、この「キャロルi」でした。 米田さん この提案は介護ヘルパーをする母親を持つ社員からでした。ご存知のように、車いすでの移動はさまざまな制約があります。「少しでも母の負担を軽くできれば」との思いがこの提案に結びつきました。 軽自動車である「キャロルi」が選ばれた理由とは? 小泉さん 当時車いすを載せることができるのは、大きな病院や企業が所有するバンやバス的なものが主だったものでした。それらを個人が所有するのはハードルが高い。それに家庭内で介護される方に女性が多かったこともあり、日本の道路事情から取りまわし性に優れ、価格も安く抑えられる軽自動車に着目したというわけです。 「キャロルi」制作にあたり、苦労されたところはありますか? 米田さん 前例がないチャレンジだったので、苦労といえばすべて苦労でした(笑)。まずは車いす乗員スペースの創出。乗車位置を決め込んでから、フロア、ルーフの改造、燃料タンクの新設・移設、リヤサスの改造など多岐にわたります。とくにルーフ部分はFRPで仕上がっているのですが、当時この大きさのものを型取りして仕上げることが難しく、本当に苦労しました。 レストアされた車両をじっくりチェックさせてもらったが、その完成度の高さにちょっと驚いてしまった。車いすは専用のものが使用されているが、まずリヤゲート展開時の角度が浅いため、車いすを載せる際の介助側の負担が少ない。そして、車いすはストレスなく車両にワンタッチで固定できるではないか! さらに、車いすに乗ったまま乗車してみると、乗車後の頭上スペースや視界、そして手すりの位置など、居心地のいい空間が実現されているのだ。これを企画立案から販売まで。わずか1年で実現したというのだから凄い。 「キャロルi」以降に手がけた福祉車両、また開発時に注力している点を教えてください。 村田さん 車いす移動車は、「キャロル」、「フレアワゴン」、「デミオ」、「プレマシー」等。回転シート車は、「デミオ」、「プレマシー」等。リフトアップシート車は、「MPV」、「ビアンテ」、「CX-5」等。運転補助装置搭載車は、「ロードスター」、「アクセラ」、「MX-30」をそれぞれ手掛けてまいりました。... ...
On 2022年5月25日 / By wpmaster「言葉を交わす」ことだけがコミュニケーションではないと信じています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●Believe Japan 写真●Believe Japan、HandmadeCreative コミュニケーションとしてのアート表現や、手話をテーマにした創作活動を国内外で行う門 秀彦(かど ひでひこ) さん。「ハンドトーク(HAND TALK)」をコンセプトに、「絵描き」として絵画作品や絵本を制作するほか、ミュージシャンとのライブペインティングや巨大なキャンバスにみんなで一緒に絵を描く「らくがきワークショップ」などを精力的に行う氏に、自身の活動についての想いを語っていただいた。 イラスト、グラフィックデザイン、ライブペインティングと多彩にご活躍されていますが、門さんが絵を描きはじめたきっかけは何だったのでしょうか? 僕は両親とも耳が不自由でしたので、コミュニケーションの手段として、幼い頃から手話をフォローするように「絵」を描いてきました。ビジュアルの方が手っ取り早かったり、描かないとどうしても伝えられないことがあったので、筆談のように絵を描いては見せていたんですね。その日学校であった出来事などを描くのですが、両親はいつも、僕が描き終わるのを静かに待っていてくれました。おかげで僕にとっては、「絵を描く」ということが、自分の「想い」をほかのひとに伝える手段として自然なものとなっていったのです。 よく小学校の図画工作の授業で、時間の都合で「今日はここまで、続きは次回に」となるのですが、普段から絵を描くことに慣れていた僕にはそれがまどろっこしくて、いつも最初の時間に2つほど描き上げていました。それでホッとして休んでいると、先生からよく注意され、成績はよくありませんでした(笑)。ですが、展覧会などでは賞をもらったりしていました。 作品では、絵の中に「手話」が描かれていますが、それはいつ頃からでしょうか? 僕が20歳のとき、長崎の目抜き通りにある店舗で改築工事が行われることになりました。そして、工事期間中、あまりに殺風景で街の美観を損ねるという理由から、壁一面に絵を描こうということになりました。最初、知り合いが依頼されたのですが都合がつかず、僕が紹介されました。... ...
On 2018年3月15日 / By wpmaster脳にはそのひとの人生が詰まっています Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文と写真●Believe Japan 東京慈恵会医科大学附属第三病院リハビリテーション科の渡邉 修先生は、脳に障害を受けてしまった方が運転を再開することを助ける「自動車運転外来」を行なっている。外傷や腫瘍等が原因で脳の機能を一部失った方が、再度運転できるかどうかの判断をしたり、リハビリテーションをとおしての機能回復に取り組んでいる。渡邉先生に、活動に対する思いを聞いた。 リハビリテーションの研究に携わることになったきっかけを教えていただけますか? 最初、私は脳失血や脳出血、脳外傷などの患者さんを診る脳神経外科医でした。交通事故などで意識を失った状態で病院に運ばれてきた患者さんの場合は、手術をしたり、急性期(損傷が起きたばかり)の低体温療法などで治療をすると、たしかに命は助かり、身体的にも回復していきます。しかし、脳は非常にデリケートな組織なので、脳挫傷や脳出血が生じると、どうしても傷が残ります。うずらの卵ほどの小さな傷ですと、回復の後、支障なく日常生活が送れるのですが、にわとりの卵ほどの損傷となりますと、ほとんどの場合、後遺症が出てしまいます。すると、その方は、「命は助かったけれど、社会に戻っていけるのか……」ということが問題となってきます。なんとか「救命」されても、「救脳」はされないということです。そうなると、患者さんだけでなく、家族の方も社会的に孤立していってしまいます。「ウチの息子を置いて先には死ねない」という親御さんにもたくさん出会ってきました。それは、もはや脳外科医に対応できることではありませんでした。 私が脳神経外科医だったころは、「高次脳機能」いわゆる認知能力のダメージについては、「それでおしまい、するべきことは無い」という風潮でした。医師も、患者さんや家族の方に「これで諦めてください」と伝えるしかありませんでした。それは、「命が助かっただけよかったじゃないですか」とも聞こえました。それでは患者さんとご家族は、社会から疎外されたままなのです。わたしはその現実に疑問を感じました。そして、患者さんが社会復帰、社会参加していけるようにするためのリハビリテーションに関心が向いていきました。ありがたいことに、そんな私を支援してくださる先生方がおりました。当時、私は浜松の病院にいたのですが、東京の慈恵医科大や研究会によく連れて行っていただきました。それが、リハビリ研究のスタートでした。 スウェーデンの病院で研究されておりましたが、北欧と日本とで、リハビリテーションに関する考え方の違いはあるのでしょうか? リハビリテーションを学ぶため、ストックホルムのカロリンスカ病院というところに勤務していたのですが、そこで印象的だったのは、いわゆる「患者さんファースト」という考え方ですね。日本でも最近は一般的になってきましたが、「患者の権利」と書かれたパンフレットが院内で最初に渡されるなど、とても新鮮な驚きでした。治療の意思決定なども、すべて患者さん中心で行われていました。また、当時のカロリンスカ病院では、患者さんが30分以上待たされると診察費が無料になるというルールがありまして、待合室で長く待たされるということはほとんどありませんでした。スウェーデンは人口が少ないこともありますが、病気や身体の不具合を抱えていらっしゃる方を待たせるということは、考えられない文化だったのですね。 また、私が参加していた脳疾患患者の家族会があるのですが、ご家族の方たちも、さまざまな意思決定は「患者本人を中心にすすめていきたい」という意見がほとんどでした。さらに、国が支援している大企業では、それぞれの状態に合わせた仕事が用意されていました。「計算は苦手だが絵を描くことはできる」など、自分の障害に合わせた仕事によって収入を得るという考えが国全体で共有されているのです。自立や社会復帰などが重要視されているのですが、これは患者さん個人やご家族の幸福にもつながると思います。それこそが本当の意味での「患者中心の医療」なのだと深く思わされました。 また、当時、私の息子が日曜日に小児の感染症である猩紅熱(しょうこうねつ)にかかってしまい、病院に連れて行ったのですが、医師が診察室を出て、廊下で待つわれわれのところまで歩いてきて、握手をしながら「わたしがお子さんを拝見させてもらいます」と挨拶をしたのでした。そこである種、患者さんと医師の間に「契約」が成立して「治療」がはじまるという流れでした。それは本当は当たり前のことなのかもしれませんが、当時の私は大きな衝撃を受けました。以来、日本に戻ってきてからも、自分で立ち上がって患者さんにご挨拶に行き、診察室に招き迎えるということを行わせていただいています。おかげで、とてもよいことがあります。招きいれるということで、そのときの患者さんの歩行状況をつぶさに見ることができるのです。カルテに目をやりながら「どうぞ」というのとは違って、私の診察はすでにはじまっているのです。... ...
On 2017年10月25日 / By wpmaster想像を超えたパラスポーツの魅力に触れてほしい Believerとは? 福祉分野を中心に活動する「明日を信じて今日を前向きに生きる」ひとたち「Believer」を紹介するコーナー。 文●久保加緒里 写真●Believe Japan 2016年のリオデジャネイロ・パラリンピックが大いに盛り上がり、2020年のオリンピック・パラリンピック東京大会に向けて日本でも注目度が高まっている「パラスポーツ」。その魅力は、活き活きとチャレンジを続けるアスリートたちの姿にある。 2011年に日本障がい者スポーツ協会の理事に就任して以来、パラスポーツに深く関わってきた山脇 康さんに、その魅力についてお話をうかがった。 人間の持つ可能性の大きさを パラアスリートが教えてくれた パラリンピックをはじめとするパラスポーツの大会に自ら足を運び、さまざまな競技を観てきた山脇さんは言う。「パラスポーツは知れば知るほどおもしろいんです。福祉や障がいという視点ではなく、純粋にスポーツとして楽しめるんです。ひとりでも多くの人に、是非とも競技を観て、知って、アスリートたちを応援していただきたいと思っています」。 現在ではパラスポーツ界を牽引し、広める立場の山脇さんだが、6年前までパラスポーツとはまったく無縁だったという。仕事上でもプライベートでも懇意にしている東京ガスの会長(当時)の鳥原光憲さんが日本障がい者スポーツ協会の会長に就任した際、「ちょっと手伝ってくれないか」と声をかけられ、ビジネスで培ってきたことをパラスポーツ界の運営に活かせるかもしれないと思って理事の仕事を引き受けたのだ。 「まずは競技のことを知らなければいけない」と考えた山脇さんは、2012年3月に長野県の白馬村で開催されたアルペンスキーとクロスカントリーのジャパンパラ大会を観戦した。はじめて競技を観た瞬間の衝撃はいまも鮮明に覚えている。理屈抜きで「すごい!」と感じたという。 「人間の持つ可能性の大きさ、潜在能力のすごさを見せつけられた気がしました。オリンピックの選手ももちろんすばらしいのですけれど、彼らはまるで別の惑星から来たかのような“超人的”なところがありますよね。パラスポーツの選手は先天的か後天的かのちがいはあっても、みんな何らかの障がいがあるなかで、残された機能を磨きあげ、多くの人が持っている能力を最大限に高めたら、こんなことまでできるようになる、ということを体現しているわけです。本当に驚いたし、大いに刺激を受けました」。 ビジネスの世界で数多くの修羅場を経験してきた彼だが、そんな自負も軽く吹き飛んでしまった。 「パラスポーツでトップアスリートになる人たちは、みなさん例外なくポジティブです。残された機能の何%を活用しているかという観点で見ても、私など到底及ばないと思います。学ぶべきことは非常に多いです」と山脇さんは言う。人間はだれしも、望むと望まざるとに関わらず人生の岐路に立たされることがある。パラアスリートは、自分の障がいや起こってしまったことも受け容れて、前向きにできることをやっていく。頭でわかっていてもなかなか実践できないことをやり遂げているからこそ、だれもがパラアスリートたちの活躍に励まされたり、背中を押されたりするのだろう。 パラスポーツによる意識変革が 「共生社会」の入口に... ...
On 2017年2月13日 / By wpmaster前回の動画に続いて、色覚異常の方の色認識をアシストするアイウエアメーカー、EnChromaへのインタビューをお送りします。 マーケティングディレクターKent Scrubb氏が、色を認識する錐体(すいたい)細胞について語ります。 関連動画 [1.EnChroma-色の認識をアシストするアイウェア] [2.EnChroma インタビュー(1)] ...
On 2017年1月25日 / By wpmasterEnChroma。特定の色が判別しづらい色弱の方の色認識を、特殊な素材のレンズでアシストするメガネとサングラスを生産するメーカー。 この製品を初めて使った人が感動で涙するシーンのビデオが話題になっています。 本当に色が変わって見えるのか?自動車を運転するときに使用する際のメリットは? 米国北カリフォルニア バークレー本社のマーケティングディレクター、Kent Streeb氏にSkypeで直接インタビューしてみました。 「EnChroma インタビュー (1 ) 製品を初めて試した時のリアクション」 関連動画 [2.EnChroma インタビュー(2)] ...
On 2017年1月16日 / By wpmaster© 2016-2020 Believe Japan, Inc. All rights reserved.